タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
今日は若手海外MBAの朝活で、あるITベンチャーを起業した方の半生と今の事業のお話を伺った。お話を伺っているうちに、やっぱり20代までの環境や経験と学習で人はつくられていくんだなぁと思った。
じゃ、翻って自分はどうか。忘れないうちに思い出したいくつかの雑感をメモしたい。
・産業革命以降の近代社会の中でつくられた、学校による教育システムが嫌いだった
勉強は好き。でも年齢で勝手にグルーピングされて閉じ込められ、興味や学力に関係なく同じプログラムを強制されるのが嫌だった。そして40人規模の学級という集団での生活も嫌だった。
運動能力がむちゃ弱かったから体育が苦手で、体育のクラスと運動会ではいつも惨めな思いをした。だから体育会系も嫌い。
勉強は好き。でも一学期のうちに教科書パラパラ読んで一学年分わかっちゃうところがあったから、授業中はいつも落書きしたり夢想したりしてた。
高校生ぐらいになると先生に気遣って、わかるところは挙手するんだけど、クラスで挙手するのはいつも私だけだった。うーん、空気読めない子。
いま思うと、ひとり寺子屋というか、ひとりフリースクールしてた。好きなことは自分で本読んで調べたり、宿題でもないのにレポート書いたり。でもそれを指導してくれる人がいなかった。
たぶん、今の時代だったら登校拒否して、図書館で勉強して高校卒業程度の学力は自分で身につけていただろう。
・教育投資は人生を切り開くために必要だと確信していた
親を見ていて、自分の人生に選択肢を持つには学力というか学歴が必要だと思った。
裕福ではなかったので何も言わなかったら高卒で終わっていただろう。でも大学に行きたかったので、高校の推薦入学枠を使って進学する話を先に進めてから、両親に進学したいと言った。
そして、入学金免除とか、学費優遇とか、育英会奨学金とか、使えるものは使った。もちろんアルバイトもした。
そして、20代後半、キャリア転換のために、海外留学を考えて準備した。31才でアメリカに渡り、33才でMBAを取得した。
学費は奨学金が利用できず、親がなけなしの資産から私の結婚資金として貯金していたのを借り、帰国して10年かけて完済した。
・好きな時間に好きな勉強ができ、年齢の違いに関係なく交流できた大学や大学院は好きだった
大学入学して嬉しかったのは、外国語学部だったから学年でクラス編成はあるけど、選択科目は自分で選べることだったり、年齢に関係なく興味のあることに取り組めたことだったり。クラブ活動はもちろん、NPOに入って歳の離れた友人を沢山つくった。
・語学力は自分の身を立てる武器になると思った
中学校で英語を習い始めた時、一学期は並みの成績だった。幸い、親が同学年の子と家庭教師をシェアしてくれて、この大学生が生きた英語力を教えてくれたおかげで興味をもって勉強できた。
塾とか行くお金なかったけど、中学3年間の英語の家庭教師は本当にありがたかった。
中学時代、その時はまだどんな職業が世の中にあるか知らなかったので、漠然とオーストラリアに移住しようと考えたり、同時通訳者にあこがれたり、何となく語学力を強みに生活を立てると考えた。
小遣いがあまりないので、郵便友の会経由で英文で文通相手をつくり、英語のライティングを自力で学んだ。高校では英語クラブに入って、アメリカ人と直接話す機会をつくった。
英語一本で入学試験受けるため、夏休みは一日9時間英語漬け。でも受験英語なんて馬鹿馬鹿しかったから、ラジオの英会話プログラムを活用してリスニングとスピーキングとライティングもがっつりやった。後年アメリカでMBA留学するために必要な英語の基礎は、18才の時にできていた。そして、推薦入学試験の英語テストの結果はクラスでも最上位グループに入っていたと思う。
大学はスペイン語専攻だったけど、クラブ活動で英語を書く機会をつくった。
☆★☆★
とりあえずここまで。
じゃ、翻って自分はどうか。忘れないうちに思い出したいくつかの雑感をメモしたい。
・産業革命以降の近代社会の中でつくられた、学校による教育システムが嫌いだった
勉強は好き。でも年齢で勝手にグルーピングされて閉じ込められ、興味や学力に関係なく同じプログラムを強制されるのが嫌だった。そして40人規模の学級という集団での生活も嫌だった。
運動能力がむちゃ弱かったから体育が苦手で、体育のクラスと運動会ではいつも惨めな思いをした。だから体育会系も嫌い。
勉強は好き。でも一学期のうちに教科書パラパラ読んで一学年分わかっちゃうところがあったから、授業中はいつも落書きしたり夢想したりしてた。
高校生ぐらいになると先生に気遣って、わかるところは挙手するんだけど、クラスで挙手するのはいつも私だけだった。うーん、空気読めない子。
いま思うと、ひとり寺子屋というか、ひとりフリースクールしてた。好きなことは自分で本読んで調べたり、宿題でもないのにレポート書いたり。でもそれを指導してくれる人がいなかった。
たぶん、今の時代だったら登校拒否して、図書館で勉強して高校卒業程度の学力は自分で身につけていただろう。
・教育投資は人生を切り開くために必要だと確信していた
親を見ていて、自分の人生に選択肢を持つには学力というか学歴が必要だと思った。
裕福ではなかったので何も言わなかったら高卒で終わっていただろう。でも大学に行きたかったので、高校の推薦入学枠を使って進学する話を先に進めてから、両親に進学したいと言った。
そして、入学金免除とか、学費優遇とか、育英会奨学金とか、使えるものは使った。もちろんアルバイトもした。
そして、20代後半、キャリア転換のために、海外留学を考えて準備した。31才でアメリカに渡り、33才でMBAを取得した。
学費は奨学金が利用できず、親がなけなしの資産から私の結婚資金として貯金していたのを借り、帰国して10年かけて完済した。
・好きな時間に好きな勉強ができ、年齢の違いに関係なく交流できた大学や大学院は好きだった
大学入学して嬉しかったのは、外国語学部だったから学年でクラス編成はあるけど、選択科目は自分で選べることだったり、年齢に関係なく興味のあることに取り組めたことだったり。クラブ活動はもちろん、NPOに入って歳の離れた友人を沢山つくった。
・語学力は自分の身を立てる武器になると思った
中学校で英語を習い始めた時、一学期は並みの成績だった。幸い、親が同学年の子と家庭教師をシェアしてくれて、この大学生が生きた英語力を教えてくれたおかげで興味をもって勉強できた。
塾とか行くお金なかったけど、中学3年間の英語の家庭教師は本当にありがたかった。
中学時代、その時はまだどんな職業が世の中にあるか知らなかったので、漠然とオーストラリアに移住しようと考えたり、同時通訳者にあこがれたり、何となく語学力を強みに生活を立てると考えた。
小遣いがあまりないので、郵便友の会経由で英文で文通相手をつくり、英語のライティングを自力で学んだ。高校では英語クラブに入って、アメリカ人と直接話す機会をつくった。
英語一本で入学試験受けるため、夏休みは一日9時間英語漬け。でも受験英語なんて馬鹿馬鹿しかったから、ラジオの英会話プログラムを活用してリスニングとスピーキングとライティングもがっつりやった。後年アメリカでMBA留学するために必要な英語の基礎は、18才の時にできていた。そして、推薦入学試験の英語テストの結果はクラスでも最上位グループに入っていたと思う。
大学はスペイン語専攻だったけど、クラブ活動で英語を書く機会をつくった。
☆★☆★
とりあえずここまで。
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