タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
そして、もうひとつの記事。
自ら緩やかな死を望む「中高年引きこもり当事者」の絶望
まさしく「50-80問題」だった。そして「緩慢な自殺」だった。
自ら緩やかな死を望む「中高年引きこもり当事者」の絶望
家族の遺体が発見されるケースも「緩慢な自殺」を選ぶ人々の心境(以下、続きはリンク先で)
誰ともつながりを持たない人たちが地域の中に埋もれたまま、人知れず孤独死していくケースが後を絶たない。
11月17日には、岐阜市で70歳代の両親と40歳代の長男の家族3人が、自宅で遺体となって見つかった。3人とも痩せ細った状態で目立った外傷はなく、死後しばらく経過していたとして、警察では餓死か病死の可能性があると見て捜査しているという。
身近なところでも、つい最近、ある老家族の40歳代後半の長男が一切の診察や治療を拒み、水だけで痩せ細って喘ぎ苦しみながら病死していくという、衝撃的な出来事があった。
「緩慢な自殺」
家族会唯一の全国組織である「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」のスタッフは、こうして死に向かっていく人たちについて、そう感じているという。
「ゆるやかに死に向かっていくことを、自分自身が望んでいる。餓死する人と同じような感じ。そうとしか思えない」
これまで、絶望の中で死んでいく人を見てきた。そんな人たちの感覚は、今は生きていても誰にも助けを求めようとしない、というものに見える。
筆者が地方に講演やイベントなどで出かければ、仕事を引退した70~80歳を超える親たちが、「仕事をしないで家にこもっている」という40~50歳代の子どもを抱え、これから先、どう生きていけばいいのかと途方に暮れ、泣きついてくる。そのまま親子が高齢化して、「40ー70問題」や「50ー80問題」と呼ばれるのも珍しいことではない。
まさしく「50-80問題」だった。そして「緩慢な自殺」だった。
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こういうサービスがあることを初めて知った。
ひきこもり50代長男を“放置”した母の傷と世間体
株式会社トキワ精神保健事務所 わたしたちの歩み
1ヶ月半前にこのサービスを知っていたら……。
ひきこもり50代長男を“放置”した母の傷と世間体
精神疾患の人とその家族をどう守るか(1)
精神疾患の人を説得して医療機関に移送するスペシャリスト、押川剛さん(48)が今年3月、「子供の死を祈る親たち」(新潮社)を出版した。押川さんが関わった精神疾患の人とその家族の実態を描いた壮絶なドキュメントで、今の精神科医療と行政、法制度、家族への提言も収めている。押川さんに実例と精神保健福祉の実態を聞いた。2回に分けてお届けする。【田中学】
押川さんは1992年、神奈川県で警備会社を創業。96年、精神疾患の人を説得し医療機関に移送するサービスを始めた。2002年、自立・更生支援施設「本気塾」を設立。現在も患者の自立支援を続けている。15年12月の経済プレミア記事「親に支配された子供が身につけた『攻撃性』の闇」でも紹介した。
──前作「『子供を殺してください』という親たち」(新潮社)に続く第2弾として今作を出版されました。
◆押川剛さん 前作で精神保健福祉の現状と、問題を抱える家族の実態を描きました。今作でも事例を交えながら、現在の精神科医療や法制度の不備、家族に求められることなどをより詳しく書きました。
「ニート」から「ひきこもり」「家庭内暴力」へ
──精神保健福祉の現状を象徴するケースを教えてください。
◆ある農村に住む家族のケースです。父親はすでに他界し、80代の母親と50代の長男が2人で暮らしていました。結婚して遠くで暮らす姉から問い合わせがあり、対応しました。
長男は高校卒業後、料理人を目指して家を出ましたが、修業に耐えられず1年ほどで帰ってきてしまった。その後、職に就くものの長続きせず、20代半ばから母親に小遣いをもらっては遊んでいたそうです。30代になるとひきこもるようになり、もう30年ほど親に生活の面倒をみてもらっていました。
私は移送や説得する際には、まず家族からヒアリングを行い、その人が生まれてから今に至るまでの歩みを時系列で資料化します。母親と姉の話から、長男は「ニート」から「ひきこもり」「家庭内暴力」を経て、その時点では精神疾患が疑われる状態でした。
他界した父親は手が出るのが早く、たびたび家族に暴力をふるっていました。母親の話では、長男も父親譲りの性格で、父親を嫌悪し、恨んでいるように見えたそうです。長男が40歳のころ父親が脳梗塞(こうそく)で倒れて以降、父親と長男の力関係が逆転して一家の財布を握るようになり、暴力もふるうようになったのです。
また、長男は部屋で排せつまでしていると聞いていました。自宅を視察した際には、勝手口に多数の酒瓶が転がっていました。大量飲酒の習慣があったそうです。アルコール依存症の疑いもあると考えました。家は異臭を放ち、長男のいる2階の部屋の窓は開け放たれて、昼でも夜でもテレビの音声が大音量で漏れていました。外に向かって意味不明の言葉を大声で叫ぶこともありました。
ひきこもる子供を長期間抱え込む家族は少なくない
──どのように対応したのでしょうか。
◆家庭内暴力があっても両親は警察ざたになるのを嫌い、通報はしていませんでした。また、近隣住民も悪臭や音に迷惑していましたが、昔から付き合いがあるだけに、近所の子供を警察に突き出すことはできなかったそうです。
長男の様子を家の外からビデオで撮影し、帰省した姉と地域の保健所に相談に行きました。職員からは「すぐに医療機関に入院治療の相談をしたほうがいい」といわれ、連絡をしてくれた精神科病院に相談に行きました。
医師にビデオを見せると驚いた様子で、すぐに治療の必要があると判断されました。アルコール依存症だけでなく、統合失調症や認知症の検査も必要ということで、後日入院日が決まり、それに合わせて移送を行いました。当日、長男は言葉にならない声をあげたりしましたが、あまり抵抗することもありませんでした。むしろ、腕をとったスタッフに甘えるようにしなだれかかるなど、長男の顔つきや言動はまるで子供のようでした。
ですが、長男の部屋の壁には「バカ親」「一家皆殺し」など物騒な落書きが残り、以前の家庭内暴力の痕跡が残っていました。
──その後、彼と家族はどうなったのでしょうか。
◆幸い入院先は長期療養に理解があり、長男はしっかりと療養を続けています。高齢の母親は姉一家と暮らすことになり、自宅は処分すると聞いています。
この長男のケースで、私は「座敷ろう」をイメージしました。明治から昭和中期にかけて行われていた私設の軟禁施設です。当時の日本では、法律に基づいて病院に入れない患者を行政の許可を得て私宅の一室などに閉じ込めていたのです。家族から手厚いケアを受けることもあったようですが、全体的には人間としての尊厳が失われた環境でした。
この長男は家族から無理やり部屋の中に押し込まれたわけではありませんが、医療や福祉のケアを受けられないまま、みすみす病気を悪化させてしまいました。人間としての尊厳が失われた状態だったのは、「座敷ろう」の時代と変わりません。
現在、社会との接点を失った子供を長期間抱え込んでいる親は少なくありません。「座敷ろう」ではありませんが、似た状況にある家族を無数に見てきました。子供を医療や公的支援につなげるすべがなく、恐怖におびえながら子供の死を祈っていることが多々あるのです。
警察庁の調べでは、2016年の殺人事件摘発件数(未遂を含む)のうち、親族間殺人が約55%で、増加傾向です。親族間の暴力容疑摘発はこの10年で4倍、傷害容疑は2倍近くになっている。もちろん、その全てではありませんが、自分が病気と認識していない患者を医療につなげられないばかりに起こってしまった事件もあります。
また、昨年7月の相模原障害者施設殺傷事件など、精神科医療につながっていながら防げなかった事件も、たびたび起こっています。現在の医療、行政、法制度のすべてに不備がある状況をまず知ってもらいたいと思います。
株式会社トキワ精神保健事務所 わたしたちの歩み
1ヶ月半前にこのサービスを知っていたら……。
"待機遺体"という言葉までも...「火葬場の不足」がかなり深刻な問題になっている
7年程前に父を亡くした時に、桐ヶ谷斎場でささやかながら通夜と本葬をした。その時に10日ほど待機した。遺体は冷蔵じゃなくて冷凍だったと思う。
通夜本葬を迎えるまでに忌引休暇を取るわけにも行かず、仕事してたら弔事を知った同僚に「休まなくていいんですか?」と何人にも聞かれた。
親族に出席してもらうためのスケジュール調整という利点はあるが、家族を失った者としては妙に間が空いてしまい、その間に悲しみを抑えて仕事をすることになるのは、心情的に違和感があった。
なので、短い間に家族ふたりを喪主として弔うことになった今回は、病院で亡くなったのではなかったケースなので警察の検死を必要としたけど、下げ渡していただいた仏様を即日通夜、翌日本葬で送り出すようにした。基本家族葬なので斎場はこだわらず、火葬場での出棺の都合を重視したスケジューリング。突然だったので住職のスケジュール調整は多少手こずったが、待機遺体にせずに済んだ。
人の死に対する考え方はいろいろあると思うけど、通夜告別式は亡くなった人のためだけでなく、亡くなった人を見送る家族のためでもある。故人を知らない友人でも喪主である私を心配して来てくれ、悲しみを共有してくれた。それが、支えになった。
これから人口が減っていくので火葬場の増設は難しいと思うけど、直葬含めて葬式のあり方を柔軟にするということが大事かも知れない。
7年程前に父を亡くした時に、桐ヶ谷斎場でささやかながら通夜と本葬をした。その時に10日ほど待機した。遺体は冷蔵じゃなくて冷凍だったと思う。
通夜本葬を迎えるまでに忌引休暇を取るわけにも行かず、仕事してたら弔事を知った同僚に「休まなくていいんですか?」と何人にも聞かれた。
親族に出席してもらうためのスケジュール調整という利点はあるが、家族を失った者としては妙に間が空いてしまい、その間に悲しみを抑えて仕事をすることになるのは、心情的に違和感があった。
なので、短い間に家族ふたりを喪主として弔うことになった今回は、病院で亡くなったのではなかったケースなので警察の検死を必要としたけど、下げ渡していただいた仏様を即日通夜、翌日本葬で送り出すようにした。基本家族葬なので斎場はこだわらず、火葬場での出棺の都合を重視したスケジューリング。突然だったので住職のスケジュール調整は多少手こずったが、待機遺体にせずに済んだ。
人の死に対する考え方はいろいろあると思うけど、通夜告別式は亡くなった人のためだけでなく、亡くなった人を見送る家族のためでもある。故人を知らない友人でも喪主である私を心配して来てくれ、悲しみを共有してくれた。それが、支えになった。
これから人口が減っていくので火葬場の増設は難しいと思うけど、直葬含めて葬式のあり方を柔軟にするということが大事かも知れない。
身内のひとりが亡くなって一ヶ月もたたないうちに、母も逝った。
先日の家族の逝去で気力体力を失って力尽きた……合掌。
……そして私は、家族の殿になった。
先日の家族の逝去で気力体力を失って力尽きた……合掌。
……そして私は、家族の殿になった。
行年54才。
年老いた母と私のふたりきりになった。
年老いた母と私のふたりきりになった。
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HN:
まりあっち
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タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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