タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
父が亡くなった後の母の年金収入も似たり寄ったりだったので、がっつくように読んだ。
年金13万円、生活苦に悩む高齢者たちの実情生活保護を受けることすらできない
母の場合は父から受け継いだ持ち家に住め、わずかながら駐車料に貸していたスペースがあったので、駐車場収入と私の仕送りを足して、少しずつ貯金を切り崩していけた。
でも私の代には年金収入もっと当てにならないだろう。細々とでもひとり株式会社で事業収入を得て、敷地の一部をやはり駐車場として貸して現金収入を確保し、確定型の年金と貯蓄を少しずつ切り崩して、と目算は立てているものの、自分の健康も含めて不確定要素がある。。
年金13万円、生活苦に悩む高齢者たちの実情生活保護を受けることすらできない
2015年9月、厚生労働省は納めた年金保険料に対し給付額がいくらになるかを世代ごとに試算した結果を発表。それにより若年世代は現在受給している世代と比べ、大幅な減額を余儀なくされるという、「世代間格差」が存在することが判明した。
将来に悲観的にならざるをえない若年層に対し、現在年金を受給している人たちはある意味「勝ち組」ともいえるかもしれない。
しかし、現実には生活保護で支給される額よりも少ない年金を頼りに、ギリギリの生活を送る日本の高齢者たちの姿があった。「こんな状況で介護が必要になったら、生活が成り立たなくなる」そんな恐怖におびえながら日々を過ごす人々の実態を追う。
年金が足りない高齢者の悲鳴
ある都営住宅の一室。一人暮らしの高齢者5人が集い、こたつを囲んでお茶をすすっていた。今日の天気からはじまり、孫のこと、病気のこと、話題は尽きない。ニュースで取り上げられている「年金」について1人が切り出した。
「これ以上年金を減らされたら、私たちの生活はどうなっちゃうの?」
「テレビや新聞で年金の話題が取り上げられても、内容が難しくてさっぱりわからないよ」
ただ、1つだけ理解している点は、受け取る年金は将来にわたって減らされるということ。長生きすればするほど、生活が苦しくなる。笑い飛ばしていても、目つきは真剣だ。
「消費税が上がってから、何を買っても高くつくので、食べ物や生活必需品以外は本当に買わなくなりましたね。洋服も以前は、お店の前を通ったら『あら、これいいわね』と、毎シーズン1つは新しいものを買っていましたが、新調しないでなるべく着まわししなくては。外出しても何も買わないでまっすぐ家に帰るようにしています」
日本年金機構から毎年送られてくる「ハガキ」を片手に深いため息をつくのは、都営住宅に住むフサエさん(仮名、77歳)。定年退職後、年金をもらいながら趣味を謳歌する……そんな悠々自適な生活を思い浮かべながら、現役時代は必死に働き続けた。ところが、いざ年金を受け取ってみると、あまりの少なさにショックを受けた。
夫が15年前に他界してからは一人暮らし。嫁いだ2人の娘たちが時折、フサエさんの様子をうかがいに訪ねてくる。定年まで企業の食堂などで働いたので、夫の扶養には入らず厚生年金に加入していた。現在、月に受け取る年金額は厚生年金と国民年金などを合わせて約13万円。「長年働いた割には少ない」というのが実感だった。女性は男性よりも賃金が低いため、支払う年金保険料が少ないからだ。
月々の生活で出費のウェートを占めるのは食費と光熱費、そして医療・介護費。フサエさんは糖尿病の持病があり、入退院を繰り返している。要介護度は7段階でいちばん軽い要支援1。週に2回、デイサービスに通う。3年前に転倒して足を骨折したときの後遺症でリハビリを行うためだ。歩行が困難になりシルバーカーを押しながらやっとの思いで歩いている。このほかに、定期的に内科と整形外科に通う。医療費は薬代を含めて1割自己負担で月5000円程度。介護保険のサービス利用料も同様に1割負担で約5000円。そして、ガスストーブをつけて暖を取る冬場の光熱費は1万4000円にもなる。
「年金生活に入ってからは家賃の減免申請をしたので1万1600円。光熱費、医療費、介護の費用が何かとかかるので、貯金を切り崩しながら生活しています。生活はいっぱい、いっぱいですよ。これから先、今まで以上に病院や介護のおカネが必要になったらどうしようと不安になります」
「娘たち? 孫の教育費やら何やら、娘たちにも生活があるのでアテにできませんね。年金で生活できなくなったら生活保護に頼るしかないわね」
お茶をすすりながらフサエさんはため息混じりに語った。
定年まで働いたのにもかかわらず、余裕がない生活を余儀なくされているのは、もらえる年金が少ないから。ひとたび病気や介護をきっかけに費用の負担が増えれば生活が成り立たなくなる……。介護破産“予備軍“の1つはフサエさんたちのような、年金受給額が低い高齢者たちだ。
安倍政権の容赦ない「年金カット」
日本の公的年金制度(厚生年金と国民年金)は、現役世代の保険料負担で、高齢者世代を支える「世代間扶養」の考え方を基本として運営されている。しかし、少子高齢化が進むなかで、現役世代が納付する保険料のみでは年金給付を賄いきれなくなっている。
現役世代6713万人の保険料収入は37兆6000億円。これに対して、年金受給の高齢者は3991万人で給付総額は53兆4000億円(いずれも2014年)。保険料収入よりも給付額が上回っている状態だ。給付額の不足分は、国庫(税金)から補塡し、さらに保険料の一部を「年金積立金」として保有して、一部を運用しながら切り崩している。
国は年金制度を維持するために、制度改正を何度も行っている。2004年に、自民・公明連立政権下で「年金100年安心プラン」と題し、今後100年間、年金の受取額は現役時代の収入に対して最低50%を保証するために、年金制度の改革が行われた。その1つが、「マクロ経済スライド」だ。
理解を深めるために、ここで年金について、もう一度、おさらいしよう。そもそも、年金額は物価や賃金の変動に応じて、毎年改定されることになっている。物価が上昇すれば年金額も上がり、下降すれば下がる「物価スライド」が導入されている。ところが、「高齢者の生活の配慮」を理由に、2000年度から、当時の自公政権が物価スライドを凍結させた。物価の下降に合わせて年金額を減額すべきところを据え置いたのだ。
このため、本来もらうべき年金額よりも多くもらっていた受給者は適正額に戻すために、2013年10月から1%、翌14年4月からさらに1%減額され、2015年4月にも0.5%下げられた。
「もらいすぎ」が解消されれば、物価や賃金が上昇すると、その分年金額も上がることになる。その伸びを抑える役割を果たすのが、「マクロ経済スライド」だ。2015年度、厚生年金を受け取る夫婦二人世帯のモデル世帯は、前年度より4453円プラスの月22万3519円もらえるはずだった。ところが実際の受給額は月22万1507円。マクロ経済スライドにより、2012円減った。しかし、この額はあくまでもモデルであり、年金受給者3991万人のうち、約4分の1が生活保護の基準以下で生活する”隠れ貧困層”といわれる。自営業で国民年金にしか加入していなかった人や、フサエさんのように長年働き続けていても低賃金だったために、支払われる年金額が少なかった人もいる。
そんな”隠れ貧困層”を直撃するのは、2016年末の臨時国会で成立した「年金カット法案」だ。現在導入されている「マクロ経済スライド」は、デフレ下では発動されないため、将来的な物価上昇の見通しが立たない現状では、年金支給額の抑制が厳しい。そこで、デフレ下でも年金の支給額を抑制できるように、「物価と賃金の低いほうにつねに合わせて年金を下げる」という仕組みを盛り込んだ改正国民年金法が2021年4月から実施される。
2016年12月下旬、厚生労働省が公表した試算によると、物価上昇率が1.2%、経済成長率が0.4%のケースでは、高齢者への年金支給額は新ルールを導入しない場合と比べて2026年度から2043年度まで0.6%減る。民進党が公表した試算では、国民年金は年間4万円、厚生年金は同14万円も減るという恐ろしい結果が出ている。今、ぎりぎりで生活している高齢者たちは、生活が立ち行かなくなるのは目に見えている。
「おカネがなければ死ぬまで働け」
一般的に会社を定年退職したあとに、健康保険組合から国保に移る。年齢とともに病院に通う人が多くなるので、高齢者の加入率が高い国保は、その分保険料を上げないと医療費を賄えない構造になっている。国保の負担増も高齢者にとってかなりの痛手だ。
東京都に住むシンジさん(仮名、67歳)も年金カットと国保の負担増で悲鳴を上げている高齢者の1人。現在、年金を受け取りながら運送業のアルバイトで生計を立てている。
「アベノミクスの影響で、株で儲かった人もいるようですが、私たちには関係ない話だね。年々、仕事が減って、最近の手取りは年100万円程度でした」(シンジさん)
シンジさんの年金は年間約60万円。長年、自営業を営んでいたため厚生年金はない。60代で店を畳み、アルバイトをはじめた。同い年の妻は腎臓が悪く、定期的に病院に通い人工透析を受けている。ほとんど寝たきりの状態で要介護度は2番目に重い「要介護4」。排泄は自力でなんとかできても、家事は一切できないため、シンジさんが妻に代わって一切を行っている。そして、ひきこもりで働くことができない娘(30代)の3人で暮らしている。
妻の年金はすべて妻自身の医療費に消える。所得税と住民税は非課税に該当しても、年13万円の国民健康保険料の支払い義務はあった。
「兄一家と同居しているので、家賃の負担がないのが幸いですが、国保の保険料と光熱費を差し引くと手元には月10万円しか残らない。家族3人で食べていくのが精いっぱいですよ」(シンジさん)
東京23区の保険料は住民税を基に計算されていたが、2013年度より所得から33万円の基礎控除を差し引いた「所得」が算出のもとになった。変更後は、扶養家族や障害者・寡婦などの控除が適用されなくなり、一部の世帯では保険料が上がった。シンジさんに限らず、年収が少なく家族が多い世帯の家計を直撃した。豊島区を例にとると、年収200万円の年金受給者夫婦二人世帯では、年6万3840円から年8万5886円と、約2万2000円上がった。シンジさんも以前と比較して2万円の負担が増えた。
「世の中の人は『もっと働けばいいじゃない』と思うかもしれませんが、妻が病院に行くときは私が付き添い、普段も食事の世話をしなければならないので、働きたくても働けない。1カ月のうち10〜15日が限界です。それに私だって高齢者なので、現役世代のようにもっと働けといっても体がいうことを聞きませんし、これ以上は無理ですよ」
シンジさんは自分が病気で倒れたときのことを考えると背筋が凍るというが、なすすべもない。住居は持ち家の扱いなので、基本的に生活保護の受給対象にならないからだ。
”持ち家”が足かせになる
「首から上は元気なんだけどね」と笑うのは、埼玉県に住むスミコさん(仮名、79歳)。
60代でリウマチにかかり、10年前に頚椎の手術を受けた。歩行が困難で買い物を含めて家事のほとんどは夫(80歳)が行う。
「トイレが近くて夜中に何度も起きるのが嫌で、あまりお水を飲まなかったら去年の夏に熱中症になりかけちゃって。猛暑日が続いても電気代がもったいないから、クーラーをつけなかったのが、よくなかったのかもしれないね」
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節約するのにはワケがある。夫との年金は2人合わせて約15万円。持ち家なので家賃はないが”老後”のために生活費を抑えて少しでも貯金に回している。
“最後のセーフティーネット”といわれる生活保護受給の条件は、①現在手持ちのおカネがわずかな状態、②すぐに現金化が可能な資産を持っていないことなどだ。単身世帯に支給される保護費は、東京23区で月13万円程度。所持金が13万円を下回っていれば、受給の対象になる。
また、②の現金化可能な資産については、自宅、車、保険などが対象とされている。例外もあるので詳しい情報は住む自治体の社会福祉事務所に確認をする必要があるが、一般的に持ち家は資産と見なされるので、低年金でも持ち家があると生活保護が受けられないケースが多い。前出のシンジさん一家や、スミコさん夫婦は、生活に困窮していても生活保護の対象外になる。
夫婦に子どもはいない。夫はまだ一度も大病を患ったことはないというが、すでに80代。いつまでもこのままの生活が続くとは思っていない。
「万が一、夫が私よりも先立つようなことがあったら、どうしよう……」
スミコさんの苦悩は尽きない。
(登場人物の年齢、肩書は2017年4月時点)
母の場合は父から受け継いだ持ち家に住め、わずかながら駐車料に貸していたスペースがあったので、駐車場収入と私の仕送りを足して、少しずつ貯金を切り崩していけた。
でも私の代には年金収入もっと当てにならないだろう。細々とでもひとり株式会社で事業収入を得て、敷地の一部をやはり駐車場として貸して現金収入を確保し、確定型の年金と貯蓄を少しずつ切り崩して、と目算は立てているものの、自分の健康も含めて不確定要素がある。。
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ほんのわずかな期間にふたりの家族を亡くしたことが、一年たった今でも心身にこたえる。気がついた時にはどうにもならず、悔やんでも詮無いのだけれど。
日本ヤバイ。我が国が抱える爆弾「8050問題」を知っていますか?
日本ヤバイ。我が国が抱える爆弾「8050問題」を知っていますか?
2018年度に新たに総額13億円の来年度予算案を計上し、さらに力をいれなくてはいけない状況になっている「ひきこもり施策」。今回の無料メルマガ『新米社労士ドタバタ日記 奮闘編』では、我が国が直面している深刻な「8050問題」について解説しています。
8050問題
厚労省は2018年度、「就労準備支援・ひきこもり支援の充実」費として、新たに総額13億円を来年度予算案に計上した。国の「ひきこもり施策」の方針は、2015年4月に施行された生活困窮者自立支援法を法的根拠に、若者自立支援から福祉施策へと切り替わりつつある。施策の窓口となっているのが、同省の社会援護局だ。支援事業は、主に4つの柱で成り立っている。
その柱の1つは、引きこもる人や中高年齢者などのうち、ただちに就労を目指すことが困難で、家族や周囲との関係が希薄な生活困窮者に対し、家庭訪問(アウトリーチ)などによる継続的な個別支援を重点的に実施するという「就労準備支援事業」だ。
この事業は、就労体験先を開拓、マッチングする自治体の取り組みも推進するというもの。国が3分の2を補助するらしい。
大塚 「最近、ちっとも求人が来なくて、顧問先様たち、困ってるわね~」
深田GL 「働き方改革とかいっているのに人がいないと時間外労働も減らせないねぇ~」
新米 「そうですよね~」
E子 「人に困っている会社は多いですよね。うちだって良い人がいたら、ホントはもっとほしいですもんね」
所長 「一方では、就職未然の若者も多い…」
新米 「ん? どう言う意味ですか?」
所長 「学校を出たのに、就職しないでいる人達も多いってことだよ」
新米 「そうですね。ニートにフリーターに…」
大塚 「フリーターは働いている人のことだから、ニートとは違うでしょ」
新米 「あ、そうか。すみません」
所長 「昔は、トライアル雇用助成金の対象者は30歳未満だったのに35歳未満になって、40歳未満になって…そのうち高齢者トライアルができて、年齢制限までなくなって…なんだよ」
新米 「え? そんな風に変わっていったんですね」
大塚 「トライアル雇用はニート対策の助成金ですね」
E子 「日本では35歳以下のニートを『若年ニート」。35歳以上のニートを『中年ニート』と定義して呼び始めているそうよ」
大塚 「35歳で住み分けをしているんですね」
E子 「っていうか、もともとニートの定義は、15~34歳の非労働力人口の中から、専業主婦を除き、求職活動に至っていない者と定義されていたそうよ」
大塚 「だから、35歳で線引きがあるんですね」
深田GL 「要は、ひきこもりの長期化、高年齢化が深刻になってきているってことですよね?」
所長 「ニートという言葉が使われ出したのは、日本では、2004年。2003年に厚生労働省所管の特殊法人である日本労働研究機構(現在の労働政策研究・研修機構)が若者就業支援政策の国際比較研究の中で『ニート』という用語を用いて、イギリスでの若者支援政策を紹介し、翌年の2004年に、同研究員の玄田有史が、『ニート ─ フリーターでもなく失業者でもなく』を発表したのがきっかけだそうだよ」
E子 「ニートという言葉が流行ったのは、2004年。ってことは、今から14年前。平成16年ですね。その頃、20歳だったニートが今では34歳。30歳だったニートは44歳。みんな年をとって当たり前ですもんね」
所長 「そういうことだね。『8050』問題って知ってるかい?」
新米 「いいえ、『8020運動』なら知ってますけど…」
大塚 「いやいや、それとは違うでしょ」
所長 「ひきこもりが長期化すると親も高齢となって、収入が途絶えたり、病気や介護がのしかかったりして、困窮するケースが顕在化し始めていて、問題になってる。少し前も事件があっただろ。北海道で、82歳の母親と引きこもる52歳の娘の親子が、飢えと寒さによって孤立死した姿がアパートの一室で見つかった。こうした事件を『80代の親と550代の子』を意味する『8050(はちまるごーまる)問題』と呼んでいるんだよ」
大塚 「『7040問題』ともいうそうですね」
新米 「70代の親と40歳代の子ですね」
E子 「これまでは若者特有の問題として調査対象を39歳までにしていた内閣府も平成30年度は、40~59歳を対象にした初の実態調査を行うことを決めたそうよ。中高年層にひきこもり状態の人がどの程度いるかや生活状況、抱えている課題を把握し、支援に役立てる狙いで、今年度予算案に調査費2,000万円を計上したんだって」
深田GL 「40歳以上の調査のため、引きこもり期間については、これまでの39歳までの調査項目で上限だった『7年以上』をさらに細かく分けるらしいですね」
所長 「対象者の性別については『男性』『女性』以外の選択肢も設けることにもなるらしいよ」
E子 「ジェンダー、LGBT、SOGIにも対応していくってことなのかしら」
所長 「総務省の2016年の労働力調査では、35~59歳の『中年ニート』は123万人で、15~34歳のニート57万人の2.2倍の規模に達しているそうだ」
新米 「え? そんなに! 『40代ニート』『50代ニート』の方が多いんですか。そりゃ、問題だわぁ~!!」
深田GL 「彼らの親は、主に高度経済成長期にサラリーマンとして過ごし、経済的には裕福な方で子供の面倒もみてこれた。それが親が高齢になって、自分の病気や経済問題で立ち行かなくなり、SOSを発することで、中高年のニートたちの存在が表だってきたってことなんだろうなぁ」
E子 「いろんな事件も起こっているわ。『70歳父親が、ひきこもりの44歳長男を殺害(13年11月、広島県)』、『57歳ひきこもり男性が、パソコンを買ってもらえず、81歳父親を殺害(14年5月、三重県)』とかさっき、所長がおっしゃった飢えと寒さで孤立死した北海道の事件など」
所長 「事件にならなくっても、親の死後は生活保護を受けざるを得なくなる。その原資は税金だし、膨大な社会保障費が必要になる。ゴミ屋敷になるケース、介護につながるケース、いろんなことに広がるだろうなぁ…」
大塚 「これって、今も問題になってきているけど、20年後、30年後の方がもっと大きな問題になりそうですね」
深田GL 「増加する貧困化した中高年の老後を、減少した若者が支える。年金問題もどうなっていくことか…」
新米 「あちゃー。日本の未来は一体どうなる?」
● 8050問題(ハチマルゴーマルもんだい)* 新語時事用語辞典
ひきこもりの子をもつ家庭が高齢化し、50代の中高年のひきこもりの子を80代の後期高齢者にさしかかった親が面倒見るケースが増えている、という社会問題のこと。
いわゆる「ひきこもり」は一般的には10代~20代の若者の問題として捉えられがちだが、ひきこもりの問題が顕在化した1980~90年代から30年ほど経た現在、当時のひきこもり世代が社会に出る機会を逃したまま今なおひきこもり続け、50代になろうとしている、という例が少なくないと見られている。生活は以前と同様に親に頼ることになるが、親も仕事は退職しており家計も厳しくなる一方、また体力も衰えはじめ面倒を見切れなくなり、親子ともに世間から孤立しがちになると指摘されている。
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MAG2 NEWS
「ひきこもり」の高年齢化 40~60歳の初調査へ 内閣府
遅かった……私の弟は去年亡くなってしまった(涙)。
でも、まだまだサポートを必要としている人たちは日本中にいると思う。まずは実態を明らかにすることだ。
学校や職場になじめず長期間自宅に閉じこもる、いわゆる「ひきこもり」の高年齢化が指摘される中、内閣府は実態を把握するため、40歳から60歳ごろまでを対象とした初めての調査を行うことになりました。
学校や職場になじめず長期間自宅に閉じこもる、いわゆる「ひきこもり」をめぐっては、長期化で年齢が上がり、これに伴って親も高齢化して働けなくなることで、生活が困窮したり、社会から孤立したりする例が各地で報告されています。
内閣府は、これまで2回、ひきこもりに関する全国的なアンケート調査を行いましたが、いじめや不登校をきっかけとした若い世代の問題と位置づけて15歳から39歳までを対象としたことなどから、中高年層の詳しい実態がわかっていませんでした。
このため、内閣府は、実態の把握に向けて、ことし秋をめどに40歳から60歳ごろまでを対象とした初めてのアンケート調査を行うことになりました。
内閣府は、全国の5000世帯程度を対象に、本人や家族から調査票を回収する方式で調査を行う予定で、自宅に閉じこもるようになったきっかけやその期間などについて質問し、調査結果を今後の支援策の策定に役立てることにしています。
遅かった……私の弟は去年亡くなってしまった(涙)。
でも、まだまだサポートを必要としている人たちは日本中にいると思う。まずは実態を明らかにすることだ。
ジョナサン・ケイナー&オスカー・ケイナーのホロスコープより。
バスはまだ、契約書類をプリントアウトして署名や調印してスキャンするのに、コンビニのコピーコーナーを十往復もしなければならないほど、まだバス停では停まっては動き出すバスのようではあるけれど、いずれ高速道路を突っ走ってくれるはず。後少しの辛抱。
今月の運勢 - 5月一周忌を終えたからか、この一ヶ月でフラッシュバックは少なくなった。地鎮祭や、米国視察旅行、新しい取引など新しい人生や生活に弾みをつける物事が増えときた。
5月に天王星がおひつじ座から出ていったら、今あなたの人生で起きている騒ぎは収拾(しゅうしゅう)の方向に向かうでしょう。もちろん、「収まる」ことは「終わり」を意味するわけではありません! でも、騒ぎが収まっていくことによって、あなたの人生に違いが生まれることは確かです。当初、あなたはこの「違い」に戸惑(とまど)いを覚えるかもしれません。しばらくの間、バス停で停まっては動き出すバスに乗っていたら、高速道路を突っ走る体験はあなたを神経質にするでしょう。それと同じことです。今後、予想外の出来事が起きたり、ひらめきを得たりして、あなたの人生の方向性が変わる可能性はありますが、目標を立て直したら、その出来事やひらめきはあなたを後押ししてくれるようになるでしょう。
バスはまだ、契約書類をプリントアウトして署名や調印してスキャンするのに、コンビニのコピーコーナーを十往復もしなければならないほど、まだバス停では停まっては動き出すバスのようではあるけれど、いずれ高速道路を突っ走ってくれるはず。後少しの辛抱。
毎日新聞より。
JR福知山線脱線事故13年 犠牲者を悼む
というのは、尼崎市南塚口町に転居して阪急神戸線と地下鉄御堂筋線を使って通勤していたのだが、転居して間もなく、会社が交通費削減のために通勤費見直しを行った。その時に会社が提示してきた通勤ルートは、JR塚口駅まで歩き、JR福知山線で尼崎を経由し、JR神戸線新快速に乗り換えて新大阪に行くというルートだった。
しかし、実際にテスト通勤してみて、当時の私は従来の通勤路線に戻る申請を挙げた。ひとつは、JR塚口駅は当時まだ、森永の工場の材料や製品を貨物で運ぶための駅からほとんど変わっておらず、駅前にターミナルもなく人影もまばらであったこと。もうひとつはJR塚口駅から自宅までの路がほとんど産業道路沿いで人通りが少なく、何かあった時に助けを呼ぶのが難しいこと。
そして、会社に申請する時に理由には入れなかったのだが、何よりも私がこの通勤ルートを怖がったのが、JR塚口からJR尼崎の一区間の通勤に不安を感じたこと。電車が加速する瞬間に目の前に出現するビル(後で事故現場となるマンション、エフージョン)。そして、そこからGを感じる、すごくきつい周回路。実際に朝の時間帯に乗っていて、立っていた身体を支えるのが難しいほどだった。
事件の予感というのとは違う。もっとベーシックな、この路線の安全思想に対する疑問という方が合っていると思う。だが、少なくとも、何か嫌な気がした。
それだけだが、毎日通勤電車として朝晩使うには、肉体的にも精神的にも負担が増えるので、従前通りの通勤ルートを申請し、許可を受けた。
そして、2005年4月のその日、それは起こった。最初は、同僚の一部がいつもより出勤して来ない、という現象だった。そのうちにテレビを見始めたら、事故が報道され、最初は置き石説が流れた。先頭車両が見つからないという怪現象が、エフージョンの建物内にあった駐車場に先頭車が潜り込んでいたという発見に変わり、先頭車両で生存していた乗客の比率を極端に悪くした。
事故現場が私の住まいから歩いて2キロほどとほど近いところにあったことも、死亡した通勤客のうち1名が当時の勤務先の元社員で、転職して別の会社の出張で故郷の関西に出ていた時に偶然事故にあったこと、同期で入社したプロパー社員が何人も彼を知っていて少なからずショックを受けていたことも、この事故が紙一重で身近に起こりえたと感じる理由だ。
事故現場は、四肢がちぎれたり、血が大量に流れ出したり、言葉にはしがたい惨状だったろうと思う。その現場に近かった方々の中にはボランティアとして死傷者の救出や手当に当たり、後でPTSDにかかった人もあったと聞く。私の蚤の心臓は事故現場の画像だけですら、かなり大きな精神的ショックを受けた。生き延びた方々には、いまだに手術を受けて療養中の方もいると聞く。
あの事故には、JR西日本の安全教育を一度受け、運転手としてはおそらく不適な方だったのだろうけど、彼が再教育を受けたくないばかりに、直前のオーバーランを見逃してくれと車掌に頼み、その処理が曖昧になさる中で、遅れを取り戻そうとしたJR塚口駅〜JR尼崎駅間の大きなカーブでのスピードの出し過ぎで起こった。
自分が別の日に抑えたスピードで乗った電車ですら、あのカーブで立っていられないと思うほどだった。だから、本当に、事故というのはいろいろな偶然の要素が重なってできるものの、しかしながら本質は必然なのだろうと思う。自分が乗客のひとりで通勤に遅れていて焦っていたりしたら、きっと回避しなかっただろう。だから。合掌。
JR福知山線脱線事故13年 犠牲者を悼む
兵庫県尼崎市で2005年4月、乗客106人と運転士が死亡し、562人が負傷したJR福知山線脱線事故から25日で13年を迎えた。遺族らは事故現場や追悼慰霊式で犠牲者の冥福を祈り、事故発生時刻の午前9時18分、黙とうをささげた。慰霊式は同日午前、尼崎市内で開かれ、遺族ら859人が参列。JR西日本の来島達夫社長が「事故を二度と発生させないことは責務」と述べた。【山下貴史】乗客106名と運転士の計107名が死亡し、562名が負傷したJR福知山線脱線事故。私は当時、JR福知山線を通勤路線に指定しなかったために巻き込まれずにいたが、もしかしたらあの電車に乗っていたかも知れないひとりだった。
というのは、尼崎市南塚口町に転居して阪急神戸線と地下鉄御堂筋線を使って通勤していたのだが、転居して間もなく、会社が交通費削減のために通勤費見直しを行った。その時に会社が提示してきた通勤ルートは、JR塚口駅まで歩き、JR福知山線で尼崎を経由し、JR神戸線新快速に乗り換えて新大阪に行くというルートだった。
しかし、実際にテスト通勤してみて、当時の私は従来の通勤路線に戻る申請を挙げた。ひとつは、JR塚口駅は当時まだ、森永の工場の材料や製品を貨物で運ぶための駅からほとんど変わっておらず、駅前にターミナルもなく人影もまばらであったこと。もうひとつはJR塚口駅から自宅までの路がほとんど産業道路沿いで人通りが少なく、何かあった時に助けを呼ぶのが難しいこと。
そして、会社に申請する時に理由には入れなかったのだが、何よりも私がこの通勤ルートを怖がったのが、JR塚口からJR尼崎の一区間の通勤に不安を感じたこと。電車が加速する瞬間に目の前に出現するビル(後で事故現場となるマンション、エフージョン)。そして、そこからGを感じる、すごくきつい周回路。実際に朝の時間帯に乗っていて、立っていた身体を支えるのが難しいほどだった。
事件の予感というのとは違う。もっとベーシックな、この路線の安全思想に対する疑問という方が合っていると思う。だが、少なくとも、何か嫌な気がした。
それだけだが、毎日通勤電車として朝晩使うには、肉体的にも精神的にも負担が増えるので、従前通りの通勤ルートを申請し、許可を受けた。
そして、2005年4月のその日、それは起こった。最初は、同僚の一部がいつもより出勤して来ない、という現象だった。そのうちにテレビを見始めたら、事故が報道され、最初は置き石説が流れた。先頭車両が見つからないという怪現象が、エフージョンの建物内にあった駐車場に先頭車が潜り込んでいたという発見に変わり、先頭車両で生存していた乗客の比率を極端に悪くした。
事故現場が私の住まいから歩いて2キロほどとほど近いところにあったことも、死亡した通勤客のうち1名が当時の勤務先の元社員で、転職して別の会社の出張で故郷の関西に出ていた時に偶然事故にあったこと、同期で入社したプロパー社員が何人も彼を知っていて少なからずショックを受けていたことも、この事故が紙一重で身近に起こりえたと感じる理由だ。
事故現場は、四肢がちぎれたり、血が大量に流れ出したり、言葉にはしがたい惨状だったろうと思う。その現場に近かった方々の中にはボランティアとして死傷者の救出や手当に当たり、後でPTSDにかかった人もあったと聞く。私の蚤の心臓は事故現場の画像だけですら、かなり大きな精神的ショックを受けた。生き延びた方々には、いまだに手術を受けて療養中の方もいると聞く。
あの事故には、JR西日本の安全教育を一度受け、運転手としてはおそらく不適な方だったのだろうけど、彼が再教育を受けたくないばかりに、直前のオーバーランを見逃してくれと車掌に頼み、その処理が曖昧になさる中で、遅れを取り戻そうとしたJR塚口駅〜JR尼崎駅間の大きなカーブでのスピードの出し過ぎで起こった。
自分が別の日に抑えたスピードで乗った電車ですら、あのカーブで立っていられないと思うほどだった。だから、本当に、事故というのはいろいろな偶然の要素が重なってできるものの、しかしながら本質は必然なのだろうと思う。自分が乗客のひとりで通勤に遅れていて焦っていたりしたら、きっと回避しなかっただろう。だから。合掌。
先週末に弟の一周忌。墓参は前の週にしており、法事は家族三人分をまとめて来月に設定したので、家で仏壇に手を合わせる。
自死遺族という言葉を使うには心理的に抵抗があるが、弟の死によるメンタルへのダメージはいまだに大きい。
そんな折、去年、些少ながら寄付した先のKHJ全国ひきこもり家族会連合会が「8050問題」(親が80代、子が50代)にも取り組み始めたのは心の慰め。一年前、いやもっと早く出会っていたら、サポートしてもらえただろうか。
ひきこもり地域で支援を 「8050問題」でシンポ
自死遺族という言葉を使うには心理的に抵抗があるが、弟の死によるメンタルへのダメージはいまだに大きい。
そんな折、去年、些少ながら寄付した先のKHJ全国ひきこもり家族会連合会が「8050問題」(親が80代、子が50代)にも取り組み始めたのは心の慰め。一年前、いやもっと早く出会っていたら、サポートしてもらえただろうか。
ひきこもり地域で支援を 「8050問題」でシンポ
ひきこもりが長期化し、高齢の親とともに孤立するケースを防ごうと、NPO法人「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」が18日、都内でシンポジウムを開き、行政や地域社会が一体となった支援の必要性を訴えた。
ひきこもりは長年、不登校の延長で若者特有の現象とされてきたが、福祉の現場では「8050問題」(親が80代、子が50代)という言葉も生まれ、親の病気や介護、経済的困窮など、複合的な課題が指摘される。
2018年の家族会アンケート(会員約630人対象)でひきこもりの人は平均年齢34・4歳、期間11年8カ月で、長期、高年齢化が進む。
私がスペインを含めたスペイン語圏の美術、ひいては西洋美術全般に関心を持つようになったのは、上智大学外国語学部イスパニア語学科で美術史(スペイン・イベロアメリカ美術史という名前だったか、スペイン美術史とイベロアメリカ美術史の)を教えてくれた亡き神吉敬三教授のお人柄と深い美術への造詣による。特に神吉教授はベラスケスがお気に入りであった。
私はスペインを3回訪問しているが、大学在学中に初めてスペイン中心にヨーロッパを周遊した時にマドリードに3日ほど滞在し、また20代半ばでロンドンに人権運動団体アムネスティ・インターナショナルの国際会議で日本支部代表のひとりとして参加した折にマドリードに立ち寄り、その時にプラド美術館の宝庫に出会った。
なので、『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』はじめとするプラド美術館の絵画との再会はウン十年ぶり。
プラド美術館展 公式サイト
強い雨が降る平日午後、狙った通りゆっくりと絵を見ることができた。
ベラスケス、スルバラン、エル・グレコ、ムリーリョ、リベラといったスペインで活躍した画家たち。ティッツィアーノなどイタリア絵画の作品、またオランダ絵画の作品と、スペイン黄金期に収集された絵画を堪能した。
帰りに神吉敬三教授の『プラドで見た夢』文庫版を見つけて購入。また読んで、会期中に再訪したい。
私はスペインを3回訪問しているが、大学在学中に初めてスペイン中心にヨーロッパを周遊した時にマドリードに3日ほど滞在し、また20代半ばでロンドンに人権運動団体アムネスティ・インターナショナルの国際会議で日本支部代表のひとりとして参加した折にマドリードに立ち寄り、その時にプラド美術館の宝庫に出会った。
なので、『王太子バルタサール・カルロス騎馬像』はじめとするプラド美術館の絵画との再会はウン十年ぶり。
プラド美術館展 公式サイト
強い雨が降る平日午後、狙った通りゆっくりと絵を見ることができた。
ベラスケス、スルバラン、エル・グレコ、ムリーリョ、リベラといったスペインで活躍した画家たち。ティッツィアーノなどイタリア絵画の作品、またオランダ絵画の作品と、スペイン黄金期に収集された絵画を堪能した。
帰りに神吉敬三教授の『プラドで見た夢』文庫版を見つけて購入。また読んで、会期中に再訪したい。
火曜日あたりから溜まってきて、昨日は3月初旬にして14℃の暖かさをもたらした春。
でも花粉症さんにはくしゃみ・鼻水の元。さっそく私はクラリチンのお世話に。
でも花粉症さんにはくしゃみ・鼻水の元。さっそく私はクラリチンのお世話に。
右橈骨遠位端骨折からちょうど2ヶ月。週一でリハビリに通い、毎日自主的に手首を曲げ伸ばし練習しているおかげで、回復は順調。次回は握力検査つき。
ロッキングプレートを取り出して抜釘するのは半年後、6月か7月とのこと。
ロッキングプレートを取り出して抜釘するのは半年後、6月か7月とのこと。
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まりあっち
性別:
非公開
自己紹介:
タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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