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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
 今年は人材開発マネジャーに復帰して5年目、全社的に大きな研修をいくつか立ち上げて4年目。4年目ともなると実施する側も経験値が上がって研修プログラムの内容もこなれてくるし、受講した社員の層がそれなりに厚くなって協力を得やすくなる。

 私たちのチームが担当するプログラムは、受けてすぐに効果が上がるスキル研修もあるけれど、どちらかと言えば長丁場でじわじわと効果を上げるディベロップメントプログラム。そのメリットが組織に現れるには、少し時間がかかる。

 しかし、それだからこそ、じわじわと漢方薬的に効いてくる。2年前に長丁場のアクションラーニングのプログラムに参加した社員が今は要職に就いて、その当時は長丁場だし何をしたらいいのかわからなくてフラストレーションを感じたプログラムから得られたものを今語れるようになってきている(最近、そのメンバーで2年目の同窓会を開いたそうだ)。別の長丁場の研修に参加した社員が、今年はOBとして懇親会に来てくれとお願いすると、その時に感じた楽しさと苦しさを熱く語ってくれる。

 そういうことが蓄積してきて、研修というかディベロップメントプログラムを企画して提供する人事の我々チームの意図や思いと、研修を受ける現場組織の上の人たちがそのディベロップメントプログラムに見いだす価値と、プログラムを委託されて運営する外部の研修業者の提供できるノウハウとが、ぴたぴたっとかみ合ってきている。だからこそ、受ける側の参加者も忙しい実務をやりくりして、研修の期間は夜中まで延々とディスカッションするやりがいを感じてくれている。

 緻密に計算してこうなったわけではないのだけど、ディベロップメントプログラムを受ける側も、送り出す上司も、プログラムの進展を見守る協力者やトップマネジメントも、年ごとに、その研修の場を盛り上げる何ともいえない熱気をつくってくれるようになっている。プロデューサーとしての醍醐味は、そういう場の空気をつくるためにどんな環境をつくるかにある。

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 今日の講義で自分が聞いていても面白かったのは、Plan-Do-Check-Actionという一般的なサイクル(Plan-Do-Seeという3段階に切る考え方もある)に対して、Research-Plan-Do-Seeというサイクルの概念を提示してくれたことだ。そして、コーチングはDoにおけるノウハウの移転よりはResearch-Planのところでの考え方をノウハウ移転することに効くという知見だ。言われてみれば、無意識に、自分がスタッフに対してコーチングしているのは、DoでなくResearchやPlanなのだな。

 スキル研修にしてもディベロップメントプログラムにしても、私が自分のスタッフに対して力を入れているのはResearchとPlanが7割、Doが1割、CheckとかSeeが2割、という感覚だろう。現場のオペレーション実務は、すでに実務担当者を離れて5年になるので、スタッフの蓄積したノウハウにはかなわない。でも、ResearchとPlanとCheck/Seeの部分では、まだまだ自分が関与することでスタッフの能力を上げることができる。自分が無意識にそうしていたことを言葉に落とし込めて、今日は私もひとつ学びがあった。
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 先週、ふたつのグループに対して提供したコーチング研修を、英語で提供した……と言っても、相手はひとりだけだったが(苦笑)。

 自分で開発したコンテンツであるだけに内容は頭に入っているが、基本的に日本語。そして、先週半ばに日本語で初めて実施してからテキストを翻訳した。自分で翻訳した方が自分の伝えたいニュアンスが伝わるし、口頭で説明する時のリハーサルにもなるから、自分で翻訳した方がいい。

 チャレンジングなのは、翻訳には自分が必要な時間をかけられるが、研修のその時その場で限られた時間の中で効果的に口頭でレクチャーしたり、質問したりすることだ。まぁ、社内の人間が相手なんで、多少は言いよどんでもプレッシャーは感じずに済んだ。

 出来はパーフェクトとまでは言えなかったけど、まぁ日本語版の6割ぐらいの出来。伝わったし、内容を評価してもらえた。英語でファシリテーターをしたり研修講師をしたりする経験はまだ限られているので、自信を持てそうだ。

 来月には、4日間も英語で行われる研修の約2割を講師として運営しなければならない。しかも、その質にドイツ人講師からお墨付きをもらうのが目標だ。その意味では、今日はいい練習になった。
今週は1日のコーチング研修を自力で開発して2つの異なる対象者に提供してみた。コーチングといっても、コーチングの考え方のポイントを押さえ、ノウハウの中の傾聴・質問・フィードバックのスキルにのみ集中した、2日間ブログラムの最初の一日という感じ。

 コーチングという言葉について、いろいろな理解がある。今日やってみてわかったのだが、部下にいろいろアドバイスしたり指示したりすることをコーチングだと思っている人が案外に多い。そこの考え方をくつがえして、相手の気づきを促し、相手本人に考えさせることがコーチングの要諦だと、まずは指摘。

 そして、相手の言葉だけでなく、気持ちに関心を向けて、その気持ちを汲み取ることを傾聴のポイントに置いた。

 トレーニングプログラムとしてはまだまだ手を入れる余地があるだろうけど、オリジナルの研修プログラムとしては、参加者にけっこうインパクトがあったようだ。次の一日で何をするかはまだ決まっていないが、オーダーメイドで研修をつくるのが好きな私にとってはエキサイティングな一週間だった。
 昨日、American Society of Training & Development(ASTD、全米人材開発協会)の大会レポートを読んでいて、ピンと反応したことがあった。

日本でも求められる研修評価モデルの有効活用──吉津弘一 日本文理大学助教授・ASTD 2006 国際大会レポート2

研修担当部署と現場との社内コミュニケーションについては、カークパトリックやフィリップスと並ぶ大御所であるブリンカーホフが具体的な提言をしていました。その内容は、「成功ストーリーを語れ」、「社内外に2つのチャンネルを持て」です。彼もレベル3である行動の変化、つまり業務への応用と実行を重視していました。


 研修の費用対効果については意識しなければならないと思っているが、実際に数値化するのは難しい。営業職の販売スキル研修なら売上をどのくらい向上させることができたかという測り方も可能だが(実際に測ろうとすると純粋に研修の効果を取り出すのは難しいと思うが)、我々のやっているリーダーシップ・マネジメント開発という分野は、特に費用対効果を測定しにくい。しかも、他の研修に比べて割高になる領域でもある^^;。

 しかし、受けた人たちがどう仕事への取り組み方を変えたか、行動を変えたかという「成功ストーリー」を示すことによってトップをはじめとするマネジメントを納得させることができるのではないか。

 そう思って、昨日スタッフにメールで記事へのリンクを送り、「成功ストーリーを集めよう」と呼びかけたところだった。

☆★☆★

 今日、上司の人事部長と、今年の選抜型研修の冒頭あいさつにどんな話をしてもらうかを打ち合わせた。

 ふと、上司が、過去に受けた受講者で、その後仕事ぶりや仕事の中身が変わったという例はないか、と尋ねた。ここ4年ほど毎年やってきた研修は確実に人々を変えつつあるはずだから、と。

 同席したスタッフのひとりと顔を見合わせ、にんまりした。「ちょうどその話を昨日からしていました。早速、去年の参加者などから話を聴いてきます」と、スタッフは請け合った。

 上司のコメントは、まさしく、昨日私がスタッフに呼びかけたこととシンクロしている。上司と自分の問題意識がシンクロしているというのは、絶好調の証だな(^^)v。
 今日は研修の立ち会い。年に一回、平日以外に行われる研修で、今年で4年目になる。

 参加者は、医師や薬剤師など医療従事者や一般の患者さんなどからの問い合わせを受け付ける(今日聞いたら、警察からの問い合わせもあったそうだ^_^;)、いわゆるコールセンターの従事者(正社員・派遣社員)。講師は、初回からずっと担当してくれている、カウンセリング経験も研修講師としての経験も豊富な臨床心理士さん。元気を分けてくれるような人で、私は立ち会いで参加するだけなのだが、心理学の勉強もさせてもらいながも元気を分けてもらっている気がして、毎年楽しみにしている。

 この研修が始まったきっかけは、去年定年退職された前任のマネジャーからの依頼だった。コールセンター立ち上げから半年後だったろうか、一般的なコールセンターの研修というと電話応対スキルのようなものが中心になると思うのだが、そういうスキルを身につけた人を対象にして心のケアをして欲しい、というようなものだったと記憶している。

 コールセンターへの電話は、製品に関する問い合わせに限らない。メーカーとして対応できないレベルの要求をしてくる人もいれば、憂さ晴らしや八つ当たりや嫌がらせを目的としているとしか思えない電話もあるらしい(今日も、エグい実例の話を聞いた……)。そういう電話を受ける人は、対応を誤ると大事になるので神経を使い、年に何度かは心理的に外傷を受ける。そして、仕事の性質上、日常的に会議を持つのも限られていて、個々の体験を話す機会も少ない。特にコールセンターを立ち上げた直後は、製品や病気について知識はあっても、ややこしい顧客に対応するノウハウを持たなかったために、ストレスで悶々とする状態だったらしい。

 臨床心理士さんを呼んで行う一日研修の目玉は、「デブリーフィング」。心理的に外傷を受けた出来事を整理せずにおくと、その体験にまつわる感情や気持ちがさらにからまって、類似の体験をした時にさらに深く傷ついたり、電話を取るとまた傷つくのではないかと怖れるようになったりするものだそうだ。その状態を防ぐために、心理的外傷を受けた出来事について言葉に出し、気持ちを口に出し、その時に受けた感情に「名前」をつけて整理して棚にしまう。そうすることによって、人はその体験から受けた心の傷を癒すことができる、そうだ。

 このデブリーフィングの時間には、私たち研修担当者や上司であるマネジャーは同席しない。同じ立場にある担当者だけで、ため込んだ気持ちを吐き出し、傷ついたり怒ったりした気持ちを共有し、気持ちを整理して明日への活力を蓄える。どんな話がされているかは知らないが、室外にいる私たちに時々笑いも聞こえてきて、決して暗いだけの時間帯ではないようだ。

 コールセンターに携わる人も年々増えて、担当替えもあったりして、4回の研修すべてに参加している参加者はたったひとりになってしまった。でも、一回受けた人は毎年楽しみにしてくれているようだし、今年初めて受けた人は「こんなに楽しい研修は初めて」と嬉しいことを言ってくれた。そして何より、デブリーフィングが終わった後で研修室に戻ると、明らかに空気は一層和やかな連帯感に包まれていた。たった1時間半で、どれだけ参加者の皆さんがリフレッシュされたかが伝わってきた。

 来年も、また実施したいものだ。

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 参考に。

日本トラウマティック・ストレス学会
『危機介入としての「デブリーフィング」は果たして有効か?』
『災害救援者へのストレスケア』

目黒臨床心理士オフィスセルフ・ディブリーフィング
久しぶりに、英文で推薦状を書くことになった……といっても私の名前でなくて、上司の名前でドラフトしたのだけど(苦笑)。

 英文推薦状は米国に留学した時から得意……なにせ、自分の推薦状をドラフトしていたぐらい(爆)。日本人の感覚で英語で推薦状を書いてもアメリカのビジネススクール大学院にはアピールしないので、その感覚がわかるアメリカ人にお願いした時は白紙でお願いしたけど、日本人には全部自分が下書きした。

 英文推薦状のコツは、まず、どんな相手にどんな目的で書くのかをしっかり把握して、相手がどんな基準で推薦される人を見るのかを想定し、その基準に照らして推薦される人が優秀である、というロジックにすること。これすなわちマーケティングの基本。

 次に、その人のアピールポイントを具体的な事例を示して述べること。人柄の良さとか、ポテンシャルの高さとか、抽象的に自分が思うことを述べるだけではダメで、具体的な事例を示して自分の考えを裏付けるようにすること。

 自分個人のやり方としては、多少誇張はしても嘘は書かない。今回は「英語堪能」が要求されるところだったが、推薦される人がとても堪能とは言い難い英語力だったので、そう書けなかった。「英語のスコアは中間レベルになるけど、とても実践的でしゃべりたがりなので十分に今回の目的は果たせると思います」……という程度に抑えておいた。まぁ推薦者が人事部長なんで(汗)、余り持ち上げすぎなのは嘘くさくなるし。

 そして、弱点は書かない……書かないことは嘘をついたことにはならない(苦笑)。推薦状ですから、ね。
仕事に関連するボキャブラリー。

ブログ「人事コンサルタントのBlog」より
ディレールメント
しかし、有能で高い業績を上げている人達には、コンピテンシーだけでなくマイナスの行動特性もあることがある。例えば、管理職の場合
 ・ 部下の意見や行動に対して常に否定的な対応をする
 ・ 日頃から部下の意欲を下げるような言動がある
 ・ 細かいことまでにいちいち口をはさみ部下に仕事を任せることができない
などである。

 このように優秀な人達が陥りやすいマイナスの行動特性のことを「ディレールメント(レールを踏み外す)(問題行動)」と言う。そして、このディレールメント(問題行動)が機会損失に結びつくと考え、排除する必要が出てきている。


IEC(株式会社アイ・イー・シー)のサイト
連載企画 人事教育の穴 永井隆雄
職場の中の「困った人たち」分析(1) 職場とは困った人との格闘技 !?

職場の中の「困った人たち」分析(2) 困った人にどう対処するか、まさしく管理者の腕の見せ所 !

職場の中の「困った人たち」分析(3) 困った人とは脱線者

このように、成功することが次なる失敗の原因となることは、脱線現象として研究が進んでいます〔※※〕。電車の脱線をイメージするとよいのですが、低速では脱線しにくい。むしろ必要な減速を怠ったとき、電車は軌道を外れてしまうのです。

〔※※〕脱線のことを英語で「derail」―ディレール―という。文字通り、レールを外れることである。仕事上の成功が失敗を導く現象を「キャリア・ディレール」ということがある。


脱線しそうな人、あるいは脱線してしまった人のことを総称して「困った人」と捉えることができるでしょう。困った人にはもともと優秀だった人が多いし、少なくとも自分のことをすごく優秀だと思い込んでいるものです。だからますます周囲は困ってしまうのです。ところが、困った人は、自分のことをそれなりに優秀だし、まんざらでもないとうぬぼれているため、あまり周囲の言うことには耳を貸さない。馬耳東風を決め込み、核心に触れる発言には自己防衛的になることが少なくない。周囲もだんだん相手しなくなり、ますます孤立してしまうことになるのです。


職場の中の「困った人たち」分析(4)脱線現象は防衛によるもの

このような脱線現象は、人間の防衛機制が絡まったものです。防衛機制とは、欲求不満などによって適応が出来ない状態に陥った時に、不安が動機となって行われる再適応のメカニズムを指します。


 以下、防衛機制の種類として「抑圧」「反動形成」「投射/投影」「退行」「摂取/同一化」「否認」「置き換え、転移」「昇華」「合理化」が紹介されています。網羅的なリストでありがたいです。

 あと、この項で面白かったのは、低業績者の自己イメージについて。ある会社で評価の低い社員を集めてアセスメントを行った時に、彼らの自己評価を訊くと驚くべき内容だったというところ。

それ以上に研修に当たった私が驚いたことは、彼らの自己評価です。各自に自分が職場でどのように評価されているかと尋ねたところ、次のような回答が返ってきました。
・少なくとも並以上には評価されているし、上司の依頼事項をそれなりにこなしている
・上司は基本的に的外れな指示をすることが多く、フォローが大変。だが、それなりにはやっているし、今後も上司を支えていきたい。
・私はかなり仕事ができる。上司も分かっているはずだが、もし分かっていないなら上司が無能。

このような回答が大変【白牡丹注・「大半」のtypoではないかと思う】で、自己が並以下、それも最低の評価になっていると素直に認める人はいなかったのです、つまり、自己評価、自己イメージが周囲との大きく乖離していることが大きな特徴だったのです。

【中略】

この点、AGP行動科学分析研究所が実施した調査分析をみても、高業績者よりも低業績者で自己評価は高く、少なくとも周囲との評価では低業績者群で自己評価が上回っていると数社の結果で明らかになりました。つまり、並以下の人材は自分のできていないことに十分な自覚がないのです。


 「私はかなり仕事ができる。上司も分かっているはずだが、もし分かっていないなら上司が無能」とは、まさしく「認知的不協和状態」を修正にかかっている好事例ですわ(苦笑)。

 周囲の認識より自己評価が異常に高いために問題となっている人を、私は何人か知ってるからなぁ……(大苦笑)。これはこれで、困ったちゃんである。

 高業績者のディレールメントに話を戻すと。

職場の中の「困った人たち」分析(5) コンピテンシー+問題特性の両方を見ることが重要

先ほど紹介した職場での脱線現象は、問題特性(ディレールメント)という言葉とともに近年では職場におけるリーダーシップや人材育成を考える際、重要な概念として注目されてきています。つまり、せっかくの才能や能力を活かせないまま終わってしまうこと、持ち前の才覚や自信、意欲など成功のための条件がかえって災いして失敗してしまうことをディレールメントといいます。そしてディレールする人のことをディレーラーというのです。


 コンピテンシーにも詳しい永井さんだけのことはある。コンピテンシーを「理想的行動レベル」「標準的行動レベル」「問題行動レベル」で表現し、ディレーラーの問題行動を逆コンピテンシーという形で見せてくれている。

 そして、過剰行動のリスト。これがありがたい。

傲慢さ
1. 他人の意見に対して、理由をつけて否定的な態度を取ってしまう。
2. 他を軽んじる横柄な態度、高慢なものの言い方をしてしまう。
3. 何もかも自分の実績だと手柄や成果を独り占めしようとする。
4. 物事の解決に当たり、他人の意見や提案を聴こうとしない。
過剰防衛
5. 他人から強く批判されると、苛立ち、反抗的態度を取ってしまう。
6. 自分の過ちや欠点を指摘されると、感情的になる。
7. ミスや不都合があっても、自分はあくまでも悪くないと言い訳に終始する。
8. 些細なことで癇癪を起こし、ヒステリックに反応する。
思い込み
9. 突き詰めれば正しい答えを持っているのは自分だけと思っている。
10. 自分の意見に根拠もなく固執し、修正することができない。
11. 意見の異なる他人の言い分には理由を変えてでも反論する。
12. 自説にこだわり、傾聴姿勢に欠ける。
冷淡さ
13. 同僚や部下に対して思いやりのない態度を取ってしまう。
14. 同僚や部下に対して薄情で、共感的な態度が取れない。
15. 他人の失敗やミスには不寛容で、激昂し罵倒する。
16. 同僚や部下が相談しようとしても、親身に接することがない。


 このリスト、よくできている……思い当たる案件がある^^;。
今日の会議のディスカッショントピック。予算管理上のいろいろな矛盾が出てきて、私たち「コーポレートトレーニング」の領域ってどこからどこまでなのよという問題提起がなされた。

 こういうディスカッションは嫌いじゃない。企業トップが我が社の事業領域ドメイン(ありていに言えば「土俵」)はどこからどこまでなのかということを悩むのと同じように、社内サービス部門でも悩むところだ。

 「いや~、こんなこと言って悪いけどさ。結局、私がわかる分野がコーポレートトレーニングなんだよね」と、いきなり混ぜっ返す私。強烈だが、かなりの真実味を持って言っている。

 コンテンツ(内容)で言えば、次世代マネジメント層の育成は私たちが外せない分野だ。ところが、現役マネジャーのマネジメントスキルやリーダーシップスキルとなると、ある程度の一般論はカバーできるが、たとえば営業職のコーチングとなると現場に近い営業部門のトレーニング部署が手がけた方がいい。外資系なので強化が必要になっている語学力も、一般的なビジネス英語なら我々の方がノウハウを持っているが、たとえば特定の疾患領域のメディカライティングとなると現場のニーズがわかる部署がコンテンツに責任を持った方がいい。

 一方で、プロセスに対する得意領域もあって、現場のマネジャーが部下の能力開発のために立てる実務課題の内容については、余りに専門領域だとついていけない。しかし、マーケティング部門の投資対効果性の検証と改善といったテーマは、けっこう食いつける。それは、たまたまビジネススクールで事業経営全般とマーケティングについて知っている自分が研修部署の長だから、ということはあると思う。属人的な要素は排したいと思いつつも、属人的な要素はやはり存在する。

 Center of Expertise--訳すと「専門家集団」ということになるが、私たちの得意分野は何か、どこに専門性を深めるべきか、今できていない領域で手を出していないところはこのままでいいのか、といったディスカッションはとりあえずできた。後は、スタッフのひとりひとりがどの専門領域で勝負できるようになってもらいたいかというビジョンはあるのだけど、彼らひとりひとりがその分野のプロとして勝負しようという気になってくれるかどうかが、案外むずかしい。
 余り詳しく書いてしまうと身元がわかってしまうので(汗)詳しくは書けないが、自分が所属している事業部にグローバル規模で大きな変動が起こった……まだ既定の事実ではないのだけど。

 近々起こることが確定している変化が自社の関係部門との関係であるのに比べたら遙かに大きな変化で、かつ急転直下。両方合わせて、まぁ2年ぐらいは適応にかかるんじゃないかと思う。

 今日は目先のことでいつになくカッとしてしまったのだが、帰宅して冷静に考えるとこっちのことの方がよほど大きな波なんだよね……小さなことにとらわれず、大局を考えることにしよう。
 私の仕事は、人材開発と自分では呼んでいる領域にある。もう少し言葉を足すと、専門用語としては、人材開発とか組織開発という分野にある。人事部の中にあって、他部門や他部署のビジネスパートナーという位置づけで人や組織の成長に貢献するのが仕事だ。

 私の部署は、他の会社や業界では教育課とか研修課とか呼ばれることが多い。私の勤める会社でも、15年ほど前には教育訓練課という名称だった(汗)。まぁ、組織の中の人をどう見ているか、自分たちの仕事をどう定義づけるか、ということが名称に現れていると思う。同業他社の中には「人は財産だから」と「人財開発」という部署名を持っているところもあるのだが、それはちょっと美名過ぎないか、造語で飾り過ぎるのはあざとくないか、と思うのは私がちょっと屈折しているからかも知れない。

 たとえば、仕事のある側面ではとても有能で切れるマネジャーがいるとする。一方で、部下への仕事の任せ方や進捗状況の管理はなってなくて、任された仕事を部下ができていないと自分の責任ではなくて部下の責任だと責め立てる側面があったとする。そういう人をどう能力評価するか、人事としてその人が変わるためにどう支援すべきか、しかし最終的に変われなかった場合にはどの時点でどの人にどう決断してもらうか、という一連のプロセスを引き受ける。そういう時には、最終的にその人をマネジャーとして置き続けるのかという判断をしかるべき人にしてもらうために、自分としての意見も言わねばならない。そういう立場にいると、「人財開発」なんて美名は自分に付けられないと思う。資質、素材としての人を評価しているという意味では「人材開発」なんだよなーと現実に引き戻される。

 こういう仕事をしていると、その人がどうしてそういう言動をするのか、なぜそういう価値観や感情を抱くに至ったのかという過程にも目を向けざるを得ない。違うケースについてだが、今日上司が「あいつは、子供の頃に親に十分に愛されてなかったんじゃないか」とぽろりと漏らした。実は私もそう思っていた。そして「自分が十分に満たされていないと、他人を満たす仕事は難しいかも知れない」という結論にもまったく同意だった。

 幼児~青年期の生育環境で人間が決まってしまうとは思っていない。私自身も、生育環境はパーフェクトではなかったし、いまだに生育環境から受けた傷をいくつか引きずっている。自分の傷やダメ駄目さ加減や弱みを今の仕事に活かせていられるのは、成人期に出会った人々のおかげだと思うし、パーフェクトな生育環境ではなかったかも知れないけど今振り返ってみると「少なくとも、ひとりには愛して慈しんでもらえた」という幼児~青年期があってのことだと思う。

 仕事の場で、その人が幼児期~青年期にどういう生育環境にあったかを推測せずにいられない場面がある。本人が意識しているかどうかは別にして、やはり、それは人格の一部として出てしまうものなのだ。それを自覚的に振り返ることができるかどうか、そして意識的に問題となる行動を変えられるかどうかは、その傷の深さにもよるし、その本人の「変わる必要がある」と思うかどうかにもかかっている。そういう時には、その人の成長に関わる自分も「パーフェクトではない」という自覚を持ちながら、その人の心に触れる働きかけを考えたいと思う。
プロフィール
HN:
まりあっち
性別:
非公開
自己紹介:
タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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