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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
弟を亡くして間もなく一年になるが、ようやく、弟を思い出す時に訳もわからず怒りの感情が込み上げることから解放された。

 ようやく思い当たる。

 怒りの感情は亡き弟とのあれやこれや、過去にあるのではなくて。

 弟の死という大きなショックに対して自分を未来に向けて生きさせるための、内なるfight-flight恐怖-逃避本能が起こすものだと。

 もう自分を駆り立てることまでしなくてもいいのだと、自分に言えるようになって、ぱたりと、怒りの衝動が消えた。

 ふたりの家族を続けて亡くすという非常事態は、もう過去のこと。だから、ゆっくり、息を吸って、吐いて。
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無職弟に仕送り続ける母 「家族全員が破綻」兄の危機感
 きょうだいが少なくなり、社会的に孤立している場合もあります。家族は、どこまで支え合わなければならないのでしょうか。

 神奈川県の翻訳業の男性(51)の弟(47)は大学を出てから就職せず、在学中から同じアパートに住み、社会保険労務士をめざしている。だが、毎年あと一歩及ばない。無職で、生活は郷里の母(85)からの仕送りに頼る。

 1年ほど前、男性は電話で母に聞いた。「実際はいくら払っているの?」。母は「毎月12万円ぐらい」と答えた。

 父が亡くなってから、母はダウン症の姉(53)と2人で暮らす。弟への仕送りは実家近くで営むアパートの毎月の家賃収入10万円から出していると聞いていたが、たくわえを取り崩していた。母は「残っているのは定期預金の300万円だけ」と明かした。

 男性は弟に手紙を送り、冒頭にこう記した。《現状のまま続けると、全員の生活が破綻(はたん)するリスクが高い》

 それから、毎月の仕送り額を9万7千円とし、弟が50歳になる年度末で終えるという「通告」も盛り込んだ。

 男性も姉も弟も独身。弟を何とかしなくてはと思い立ったのは、男性にも経済的な不安があったからだった。

 国立大学の大学院で博士号を取得してドイツに留学。帰国後に研究職を志したがかなわず、10年前から大手企業の関連会社で契約社員として働いた。当時の年収は約600万円。だが、2015年11月に会社は突然閉鎖した。

 その後はドイツ語を生かしてフリーの仕事でしのいでいるが、収入は安定しない。ただ、仕送りには男性も出費して母の負担を減らした。さらに弟を扶養家族にして、社会保険料を肩代わりした。こうした手続きに必要な書類を手紙で催促しても、弟は指示した文書のコピーを入れた封筒を送ってくるだけ。弟には10年以上会っていない。

 「精神的に追い詰められているのではと不安になったり、『家族だから何とかしてもらえる』という甘えに腹立たしく思ったり。弟には生活保護を受給してほしいが、母は悲しむ。あと2年、私が頑張って待つしかない」

母の介護、手伝わない姉と弟
 神奈川県の女性(49)は、昨年6月から東京都内の療養病床に入院している母(81)を2週間に1度、訪ねる。「おうちに帰りたい」と訴えられるたび、胸が痛む。

 夫と中学生の娘と3人で暮らし、パートをしながら母を介護する。専業主婦で子どものいない姉(55)が埼玉県にいるが、介護を手伝うことはない。都心の実家で暮らす会社員の弟(47)は、身の回りの世話を母に任せきりだった。

 脳梗塞(こうそく)だった父を看取(みと)った10年前にも、介護疲れを訴える母を支えるため、幼子を抱えながら一人で駆け回った。夫は「なぜお前だけが?」といぶかる。

 昨年末、弟が困ったように聞いてきた。「俺のおせちはどうなるの?」

 女性は、ため息をつく。

 「母も、弟が一人で年を越すのを心配していたから、我が家に誘いました。でも母が逝ったら、私が弟の面倒を見るべきなんでしょうか」(高橋美佐子)

「きょうだいリスク」の共著があるジャーナリスト古川雅子さんの話 
 無職や未婚のきょうだいの将来を不安がる中高年層の声をまとめたのは、同世代間で格差が広がり、きょうだい間だけで解決できない状況が生まれているから。親が元気なうちは直視せずに済んでも、介護や死去などで一気に現実になる。家族で支え合うべきだという風潮は強いが、当事者を追い詰めないように、社会保障の観点でも議論すべきだ。

奨学金800万円重荷「父さんごめん」 親子で自己破産
奨学金破産
 2016年暮れの夜。携帯電話が鳴ったとき、男性(52)はハンドルを握っていた。家具販売の営業用の車を止め、東京で一人暮らしをする息子(27)の話に耳を傾けた。

奨学金破産、過去5年で延べ1万5千人 親子連鎖広がる
奨学金、進む回収強化 「あきらめればモラルハザード」
 「父さん、迷惑かけることになってごめん」

 大阪の実家から私立大の国際関係学部に通い、卒業して3年半。奨学金を返せず、自己破産するという。入学金30万円や毎年100万円の授業料、通学費などのため、計800万円余を借りた。機構の調査によると、大学でかかる1年間の費用は「私大・自宅生」で平均約177万円。

写真・図版
東京にいる息子は計800万円余りの奨学金を借りた。うち576万円は有利子で、大学卒業後は利息も上乗せして返してきた。大阪の父親は「入学した時はこんなことになるとは、想像もしなかった」と振り返る(画像の一部を加工しています)

 息子がいま働いているマーケティング会社の手取りは月20万円ほど。家賃などを除くと、奨学金を返す4万円が重い。機構に返還猶予を求めたが、年収300万円以下の条件をわずかに超えた。延滞が3カ月に迫り、「個人信用情報機関に名前が載りますよ」と告げられた。20年返し続ける自信がなくなった、という。

 「お前がええんやったら、しゃあない」

家計が苦しくても、「進学したい」という息子の希望はかなえてやりたい――。そう思い、日本学生支援機構の奨学金を借りた。「まさか、こんな形で返ってくるとは」。父親は戸惑い、自らも自己破産する道を選んだ。

 息子が大学に入ったのは09年春のこと。就職難の時代、せめて大学に進まなければ職業の選択肢は限られる。息子は進学を希望したが、男性はその数年前、当時勤めていた会社を辞めていた。経営が悪化し、給料が半分ほどに削られたためだ。その後も職を転々とし、1年ほど見つからない時期もあった。中学生の娘もいて、家計は苦しい。奨学金を借りてもらうしかなかった。

 息子が自己破産を申し立てた直後の17年3月、男性のもとに機構から1通の封書が届いた。

写真・図版
息子が自己破産手続きを始めたのを受け、大阪の男性のもとに届いた日本学生支援機構の通知書。「今後は連帯保証人様より返還していただきます」と書いてある

 〈あなたが連帯保証人となっている奨学金の返還につきましては、ご本人は支払不能の状態のため、返還していただくことはできません。今後は連帯保証人様より返還していただきます〉

 請求が回ってくることを告げる通知だった。でも、パートに出る妻と合わせた年収は300万円ほど。800万円はとても背負えない。4カ月後、息子に続いて自己破産した。

 「お金がなくても大学に行けるようにする奨学金が、こんな重荷になるなんて」

写真・図版
奨学金の返還誓約書。人的保証だと連帯保証人と保証人も署名する(画像の一部を加工しています)

 本人、連帯保証人と続けて自己破産したため、最後は保証人に請求が回る可能性がある。男性は時折、保証人になっている父(91)に連絡を入れる。年金暮らしで、資産と呼べるものはない。請求がいかないように、と祈る思いでいる。(阿部峻介、諸永裕司)

 奨学金(という名の学資ローン)借りて大学進学しても20年間返済し続けられることがどんどん難しくなっていく。連帯保証人になった親や祖父母まで自己破産リスクがある。
 そして、きょうだい共倒れのリスクまで。

 ますます生きづらい時代になったなぁ。。
親の介護、はじまりました。 (上)
親の介護、はじまりました。(下)
 リンク先はamazon.co.jp

 独善的で人の話を聴かない父親。気弱で夫に怒鳴られて小さくなり続けた母親。このふたりがそれぞれ老化とともに、ガンになったり、骨折を繰り返したりしながら、ボケてくる。
 親元を離れて独立していた子供たちが介護サービスの力を借りながら介護や支援を始めるが、奴さんたちは思い通りにならない。。
 自分の両親と性格や関係性が似ていて、自分の親の介護や看取りを思い出しながら。うちの両親は比較的に認知症の程度が低かったので、この著者夫婦たちほど振り回されはしなかったけど、事の大小に違いはあっても似たようなことがあったなーと共感しながら。
 介護する側、ケアする側からすれば、いつまで続くぬかるみぞ、どころか、状況が好転することはほとんどなく、むしろ悪くなる状況が次々とやって来る。医師など医療関係者と、ケアマネジャーや介護支援サービスの方々と、うまくパートナーシップを組むにも相手もいろいろな状況があって、簡単な正解がない。試行錯誤の日々。
 自分の経験を振り返りつつ、あるあると頷きながら。
年明けだったことに加えてITシステムが変わって混乱もあったようで、X線撮影で1時間半以上待たされたけど、整形外科で無事にシーネ外された。

 金具とボルト10本入った手首は明らかに金具が埋まっている感触がするのだが、骨がくっついてきたら取り出し手術をするという。まだ痛むこともあるけど、伝達麻酔といい痛み止めといい化膿止めの抗生物質といい、現代医学に感謝感謝。
ひきこもる50代 80代親「お金なくなれば餓死かも」
「高齢者と未婚の子」世帯が急増

 40~50代になってもひきこもる子。それを支え続ける70~80代の親。見えにくい親子の孤立が広がる。過保護や甘えが原因と思われがちな長期ひきこもり。だが目をこらせば、雇用劣化など平成社会の構造変化が背景に透けて見える。

ひきこもり29年目 親子の孤立「このままでは共倒れ」
 親亡き後、息子や娘はどう生きていくのか。長期ひきこもりの中高年の子がいる高齢の親たちにとって痛切な課題だ。「誰にも相談できない」という家族のSOSに動かされ、支援の取り組みが動き出す。

 親が(O)、死んだら(S)、どうしよう(D)。親の苦悩を、そのまま団体名にした支援組織が7月に発足した。「OSDよりそいネットワーク」(東京都、理事長・池田佳世)だ。12月2日には都内で初の講演・シンポジウムを開き、全国から約90人の親が参加した。

 池田は「社会とのつながりがなく『親が死んだら一緒に死ぬ』というお子さんも多い。親が元気なうちに対処を」と呼びかける。家族会関係者に加え、法律家、税理士、不動産コンサルタントなど多くの専門家が協力する。「親亡き後」を見すえた家計・住まいの助言や、孤立防止の訪問サポートなどの活動をしていく。

 池田によると、相談をきっかけに、断絶していた親子のコミュニケーションが少しずつ回復する例もでてきているという。

 11月の相談会には、神奈川県の女性(74)の姿があった。40代の息子は7年前に仕事を辞めてからひきこもり、昼夜逆転でパソコンゲームに没頭している。会話はほとんどない。

 夫と自営の仕事を続けているので、まだ収入に余裕がある。息子には月5万円の「小遣い」を渡し、年金・医療保険料も親持ちだ。だが夫婦が働けなくなったら支援はできなくなる。

 働いていても趣味の活動をしていても、頭の隅には常に息子のことがある。

 「息子の暮らしがすべて親にぶら下がっている。お金がなくなれば、あの子は何も食べずじっとしていると思う。極端な話、餓死してしまうかも知れない」

 名古屋市の家族会「NPO法人なでしこの会」は2014年、親亡き後に残された子のために、「ひきこもりサバイバル」ハンドブックを作った。家事の仕方から生活保護の申請まで、必要な情報をやさしい言葉でまとめた。反響が大きく、会のウェブサイトにも掲載している。同会の親の平均年齢はすでに60代後半。将来への危機感は強い。

ゴミ屋敷の奥に60代の息子
 親に依存する同居中年シングル。そんな世帯が抱える将来の「共倒れ」などのリスクについて、臨床社会学者の春日キスヨは10年の著書で警鐘を鳴らしていた。それは続々と現実化している。

 一人暮らしと思っていた80代の女性が病に倒れた。支援に入るとゴミ屋敷の奥に60代の息子が暮らしていた。長年のひきこもりで足腰がたたず、介護が必要な状態だった――。大阪府豊中市社会福祉協議会の福祉推進室長・勝部麗子が一昨年、直面した事例だ。

 80代の高齢の親と50代の未婚の子の世帯が見守り・支援制度のはざまに落ち込み、相談先すらわからぬままに困窮する。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演したコミュニティーソーシャルワーカーの勝部は、この危機を「8050問題」と呼び、新たな地域課題として提起した。

 豊中市では、「8050」世帯を含めた見えない困窮層を支援につなげるため、気になる世帯への「ローラー訪問」に取り組んでいる。

 90年代後半、親に依存してゆとりある暮らしを送るパラサイトシングルという言葉が登場した。それから約20年、「8050」世帯の多くは困窮と隣り合わせだ。親亡き後の子世代は、そのまま無年金高齢者になる心配がある。

 背景にあるのは社会の構造変化だ。一言で言えば、ライフスタイルや雇用の常識が、昭和と一変してしまったのだ。

 平均寿命が延びて老後は超長期化した。70代80代でも子を支える体力気力がある親が増えた。一方、50歳まで一度も結婚したことがない人の割合(生涯未婚率)は、男性で90年の5・6%から15年は23・4%に急上昇した。

 バブル崩壊後に急増した非正規雇用やリストラなど若年層の雇用劣化の影響も大きかった。勝部が感じるのは親子の経済力の逆転現象だ。「高度成長期には、現役世代の子どもは高齢の親より経済的に豊かだった。最近はそれが逆になっている家族が珍しくない」。就職氷河期世代が40代を迎え、その傾向が加速しているとの指摘もある。

 15年春スタートの生活困窮者自立支援制度の窓口にも相談が相次ぐ。名古屋市の窓口のひとつ「仕事・暮らし自立サポートセンター大曽根」の相談員によると、いわゆる「高齢の親と中高年の未婚の子」に関わる相談は「週に1度」の頻度で寄せられるという。

 親の死去後に「3日食べていない」といって窓口を訪れた50代の息子。親子を生活保護につなごうとしても成人である子が面談を拒否するため手続きが難航する例もある。同センターはひきこもりの相談経験がある社会福祉士を配置して対応するが、こうした窓口はまだ少数だ。

国の調査「実態とずれている」
 ひきこもりの人の数は全国約54万人。これが内閣府が昨年公表した推計だ。ただし、この数は15~39歳が対象で、40歳以上は抜け落ちている。

 リーマン・ショックの08年、当時40代だった息子が退職に追い込まれ、ひきこもったという西日本のある父親(82)は「ウチの子みたいな人はたくさんいるのでは。国の調査は実態とずれている」と話す。

 一部自治体の先行調査は、中高年ひきこもりの多さを裏づける。山梨県が民生委員に実施したアンケート(15年)においては、ひきこもりの年代は40代以上が6割を占めた。内訳をみると40代(27・5%)、50代(16・1%)、さらに60代以上も16・8%いた。

 KHJ全国ひきこもり家族会連合会の事務局長・上田理香は「ひきこもりは青少年問題から中高年問題に移行している」と言う。40代以上を含めれば100万人を超すという見方もある。内閣府も、40歳以上を対象にした追加調査を実施する検討を始めた。だがすでに「9060問題」、90歳の親と60代の子の課題が生じつつあるという声もあがる。

 20~30年先の未来、わが子やきょうだいがひきこもり、孤立しないと断言できる人はいない。超高齢社会では誰もが当事者になりうる問題だが、親の過保護だ、本人の甘えだという自己責任論は根強い。

 「社会で支える合意ができていないなかで、親たちはどんどん高齢化していく」。ある親の言葉が胸に残る。かつて介護保険によって介護問題を「社会化」したように、孤立する親子を社会で支える仕組みをつくれるか。ポスト平成に引き継がれる宿題だ。=敬称略(清川卓史)
ひきこもり29年目 親子の孤立「このままでは共倒れ」
平成とは 第1部:時代の転機 (1)8050危機
 平成とは、家族の姿が静かに、だが劇的に変わった時代だった。ひきこもる中高年の子どもを支え、老後を迎えても保護者の役割からおりられない。いま、そんな高齢の親たちが増えている。人生100年時代の新たな家族危機だ。

特集:平成とは
ひきこもる50代 80代親「お金なくなれば餓死かも」
 その86歳の男性は、補聴器をつけて最前列で熱心にメモをとっていた。

 元高校教諭。10月に東京都内で開かれたKHJ全国ひきこもり家族会連合会の全国大会に、福岡県から泊まりがけで参加していた。

 長男は47歳。ひきこもりはバブル経済さなかの1989(平成元)年から続き、29年目になる。「あと3~4年の命でしょうが、ひきこもりの解決を考えることが使命。できるだけのことをしてあの世にいこうと思っています」

 深刻さを増すひきこもりの長期・高年齢化。

 長男が心に変調をきたしたのは大学受験がきっかけだ。第1志望の国立大に不合格となり、不本意ながら別の大学に進んだものの、すぐ実家に戻った。以来、バブルの崩壊やIT社会の到来、大震災など、世の中が揺れ動くなか、社会との接点をほとんど持たずに生きた。アルバイトも続かなかった。

 男性の退職金も底をつき、「このままでは親子とも破綻(はたん)する」と思い詰めた。意を決し、4年前、息子を残し賃貸の高齢者住宅に妻(82)と転居。今夏から息子は1人で生活保護を受けて暮らす。

 男性と妻はいまも、受験時の親としての助言がよくなかったのではと悔い、息子の将来に胸を痛める。気をもむのは生活保護切り下げのニュースだ。「40代後半で経験もなければ企業も雇うはずがない。生活保護を打ち切られたら本当に行き場がない」

 まじめで高校の成績はトップクラスだった。「生んでくれてありがとう」。去年の父の日に届いたはがきを、幾度も読み返す。

 高齢者がいる世帯で「親と未婚の子のみ」世帯が、昭和の多数派だった「3世代」世帯の比率を上回ったのは2009(平成21)年。「派遣切り」が吹き荒れ、年越し派遣村が元日紙面のニュースになった年だ。生涯未婚率の上昇、雇用の不安定化など、平成に生じた問題が背景に折り重なる。

 「親がいなくなったら、どないなるんやろ」。京都府の80歳女性はうつむく。40代半ばの息子と2人暮らし。30歳を超えてからほぼ自宅にこもる。「僕をホームレスにするんか」「親やったら助けてくれ」。息子の言葉に追い詰められる。「できひん」と言うと「じゃあ殺してくれ」。

 女性は「市民の会エスポワール京都」(京都府)の交流会で苦悩を打ち明けた。「わたしらのような人がたくさんおるんやなと思って、少し救われました」。同会は40~50代のひきこもりの子と家族を支援するため今春から活動を始めた。代表の山田孝明は「家族だけの問題でなく社会問題だ。あえて『市民の会』と名づけた」と話す。参加者は予想を超す約140人に達した。60代から80代の親たちだ。

 「老老」でも「独居」でもない親子の深い孤立。80代の親と50代の子の世帯の困難という意味で、「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ばれる。

(敬称略)

     ◇

 清川卓史

 48歳。編集委員。貧困問題、介護保険・認知症などのテーマを長く取材。
 私は今年、助けてあげられず、共倒れさせてしまった。もっと早く本気で取り組めていたらふたりとも死なずん済んだろうか、と今も自問する。
函館から帰宅して翌日が土曜日で祝日だったので救急外来に行ったら、当番に整形外科の先生はいなかったがわざわざ出て来てレントゲン撮影し診断してくれた。早い方がいいからと月曜日に再診。即、外科手術が必要となり、火曜日に入院、水曜日に手術、経過良好で木曜日の今日退院。
 年末年始は手術できないから年内ぎりぎりの日程だったが、同じ骨折で同室の女性が三人いて、うちひとりは入院当日手術だった。
 中高年女性に多い骨折で年間50例ほど切っているとのことで手際がいい。伝達麻酔効くのが早かったせいもあるが1時間かからなかった。
 麻酔切れた夜そして夜半は痛くて大変だったが朝にはけろっとして退院し帰宅できるのだから医学の進歩に感謝。
旅行先で凍った道で滑って転び、うっかり手をついて右手首骨折。。レントゲン見た整形外科の先生が、きれいに三つに割れてると言ってました。

 子供の頃、スケートリンクで衝突を避けようとして転び、右手突いた時は捻挫ですみましたが、今回は折れました。運動神経が悪いなりに無理しないできたせいか大きな怪我を経験しなかったので、よりによって家族の不幸が続いた今年の年末イベントとは。

 でも旅行の最終日だったので散策切り上げて受診して手当受けられたし、異変感じてたまたま函館市の移住相談窓口にお願いしたらクリニック調べてくれてタクシー呼んでくれたし、看護師さんも帰りのタクシー呼び止めてくれるまでいろいろ親切にしてくれた上「これで函館嫌いにならないで欲しい」と言ってくれたし、身に沁みる。
ひきポス
『ひきポス』は、ひきこもり当事者や経験者の生の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。毎週金曜日更新。

ひきポスとは?
当事者や経験者の生の声を発信する


『ひきポス』は、ひきこもり当事者や経験者の生の声を発信する情報発信メディアです。ひきこもりや生きづらさ問題を当事者目線で取り上げていきます。

ひきこもりは「部屋から出たら終わり」と思われがちですが、そこからまた新しい困難が始まるというのが、経験者としての実感です。ですからひきこもりだけでなく、執筆者達の現在進行系で抱えている生きづらさもテーマにしていきたいと考えております。そして、見かけ上はひきこもってはいないけど、生きづらさを抱えている方にも届くコンテンツになれれば幸いです。


苦しみの闇に浮かぶ一筋の光に


私も以前、ひきこもっていた時期がありました。原因は様々あると思いますが、一番は自己嫌悪をこじらせきっていたんだと思います。

子供時代に安心できる環境がなく、自分の気持ちを押し殺して生きていました。そして殺しきってしまった。自分の中の本当の気持ちは姿を隠し、いつも心の穴に苦しんでいました。自分が嫌いで嫌いでいつも葛藤で疲れ切っていました。

他者との繋がりを理解できず、社会に表面だけ合わせるのも限界になり、ひきこもってしまったんだと今は思っています。

夏休みの宿題が一つも終わってない8月31日のような焦りと不安が毎日続く。そこにのしかかる絶望と無気力と苦しみ。先のまったく見えない暗闇の日々でした。

当時、自分と同じように「人生がうまくいかなくなってしまった人」がどうやって生きていくのか、そんな話を聞きたい読みたいと思っていましたが、そこにはたどり着けませんでした。

世界で苦しんでいるのは自分たった一人ではないのか。これほど苦しい思いはそうないです。同じような苦しみを抱えている人の情報があれば、もっと早くどん底の苦しみから抜け出せたかもしれない。

暗闇に浮かぶ一筋の光になるかもしれない。そんな思いがあるから当事者発信を続けています。

負の経験を価値にする

そうして、今まで「不登校新聞」や「ひきこもり新聞」を舞台に活動を行ってきました。

そこでは、自身のひきこもりや、生きづらさの経験を言葉にすることで、多くの人々に生きるヒントや、時には勇気をも与えられることを実感しました。

ひきポスによって、ひきこもりや生きづらさの経験は、隠すべきマイナスの経験などではなく、伝える価値のあるプラスの経験にもなるのだと、社会へ示していきたいと考えています。

当事者、経験者で作り上げるメディア

ひきポスは全員ひきこもり当事者、経験者で運営しています。月に一度の編集会議では当事者、経験者が集まり、記事のアイデアを練っています。私は、"弱さ"でつながるのは、苦しいことや暗いことではなく、むしろ楽しくて役立つことだということを気づきました。今後は社会の方も"弱さ"でつながることを取り入れていくのではないか、そんな予感さえもします。

またひきポスでは、ゆくゆくは記事を書いて頂いた方に原稿料をお支払する仕組みを作りたいと思っています。自分の書いた当事者経験が読まれ、評価されることで、書き手の心が軽くなる。さらに読み手の役に立つ。そしてそのことが評価されお金になれば、一石三鳥の当事者支援にもなります。

今まで活躍できなかった人が活躍でき、そして一人でも苦しい人が減る。そんなメディアに育てていきたいと思います。

今後、WEBをご覧になれない方のために冊子版を製作する予定です。創刊号の発売は2月15日を予定しております。

みなさまの温かいご支援を宜しくお願い申し上げます。そしてどうぞひきポスをブラウザのお気に入りに登録して頂き、時々覗きに来て下さい!

ひきポス編集長 石崎森人

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 引きこもりを抱えていた家族として有用な情報があれば今後紹介したい。
会社名に見覚えがあったので目を引いた記事。

従業員の半数がフリーターや引きこもり経験者、上場企業で起きた人材再生の奇跡
フリーター、引きこもり経験者ばかり
デジタルハーツで働く社員の素顔
 従業員の半数をフリーターや引きこもり経験者で占めるという、上場企業がある。

 ゲームなどの機器の不具合を探し出す(デバッグ)サービスを専門とする「株式会社ハーツユナイテッドグループ」の子会社である「株式会社デジタルハーツ」という東証一部上場企業だ(※2013年に株式会社デジタルハーツから持株会社体制に移行し、株式会社ハーツユナイテッドグループとして上場)。

 登録する従業員数は、約8000人。毎日約3500人が稼働して、ゲームのデバッグをメインに、バグ(不具合)を見つける作業に従事している。

 発売前の機密情報を扱うため、仕事は全国15ヵ所のラボと呼ばれる作業拠点で行い、在宅での勤務は禁止。クライアントのニーズに応じて、現場に出向くこともある。

 スタッフは、引きこもり状態にあった人などの未就業者が多い。長年ゲームなどの機器に慣れ親しんできた人ほど、バグを見つけるという真面目さと緻密さが要求される仕事に向いていたからだ。

 創業は2001年。宮澤栄一社長(現在は会長)がフリーターなど6人とともに、6畳1間で立ち上げ、ゲームのチェックの仕事から始めた。その後も、未就業者たちと出会って一緒に仕事をするうちに、「自分が持っていたオタクの概念を壊された」という。

「ゲーム好き集まれ!」と呼びかけると、月に250人くらいがまずアルバイトとして登録していく。

 アルバイトは時給制で、週1日からでもOK。いきなりフル雇用を求められないところが、引きこもり歴の長かった当事者にもマッチする。

 バグを多く見つけられる人は、契約社員、社員へと昇格できる。契約社員以上は社会保険に加入でき、有給休暇も社員と変わらない。社員の半数はアルバイトから昇格したという。

 雇用に当たっては、その人のバックグラウンドを重視しない。選考も年齢制限もない。条件は、身元保証人を付けることだけだ。身元保証人は親でもいい。機密情報を扱う責任ある仕事をするからだという。
 同社によると、これは雇用対策でもなく、引きこもり対策でもない。ビジネスとして雇用していたら、結果的に雇用者の半数がフリーターや引きこもり経験者だった。社会貢献をしようと思っているわけではなく、「戦力」として見ているのだ。

 後で障害を持っていることがわかるケースがあっても、障害者雇用の枠で募集することもしていないという。ただ、そういう当事者たちが働きやすい環境であるのは、「8000人のオタク集団」という武器が、この会社の強みだと認識してるからだろう。

ひたすらバグを見つける毎日
無口だった人がリーダーになっていく

周囲と協力しながらデバック作業に打ち込むなかで、社員たちは徐々に変わっていく
登録説明会に来た「働きたい」希望者には、門戸が開かれている。希望者は入社の手続きに入り、研修を受けることになる。

 研修は、ビジネスマナーや情報の取り扱いなどの内容。作業のOJTはチームの中で行う。チームは通常20人くらいで組むが、最初は目が届きやすいよう6人くらいの少人数から始める。チーム構成は、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんで、新人は末っ子として入る。それぞれの役割分担の中から子が独り立ちしていくという、高度経済成長期の会社のような「社員は家族」という懐かしい考え方も漂う。

 最初はうつむきがちで何も話さなかった人が、変わっていく事例も少なくない。いつもゲームやアニメを見ているような人が、やらなければいけない仕事を割り当てる役を任されたことをきっかけに、自分から積極的にお願いしたり、相談したり、自ら発信したりし始めた。コミュニケーションも増えて、チームのリーダーにまでなった。

 一方で、ひたすら黙々とバグ見つけることに喜びを感じる技術職もいる。それぞれ皆、特性は違う。

 やはりバイトから入ってチームのリーダーを経験したことのある女性従業員は、こう話す。

「何か指示を出すと、言われたことを完遂しようとひたむきに作業してくれる人が多い。でも、ずっとゲームをやっていると、そのことについては誰よりも詳しくなる。蓄えた知識を“みんなにも教えてあげて”みたいに誘導すると、他人に教えることに喜びを感じて話せるようになるし、責任感も出てくるんです」

 親が会社のパンフレットなどを持って帰っても、2~3年くらい説明会に来られず、会社に登録できても、急に休んでしまったり、1~2ヵ月来られなくなってしまう人たちもいる。

 ただ、会社としては、その人のバックグラウンドは知らないし、重視していない。従業員は、未経験のゼロベースからスタートする。そして問われているのは、多くのバグを見つけるために、いつまでもまっすぐで純粋でいることだという。

 肉体的な負担はあまりないものの、仕事は厳しい。たとえば、ゲームのコントローラーを細かくずらしていって、抜ける瞬間を見つけるため、ひたすら当たりチェックをしていく。

 忍耐力と集中力が必要とされるため、安易に入ってくる人は辞めていく一方で、バグを見つけることが好きになっていく人には向いているという。

「バグを見つけると、チームが喜んでくれるので、やりがいを見つけられます。最初は週1日しか来られなかった人が、少しずつ回数を増やせるようになって、今では毎日来られる人もいます」(同グループIR広報室・山岸美香室長)

働けるとは思わなかった子が
会社で管理職になれるなんて……
 志望動機は「ゲームが好きだから」という人が多い、入って来てもゲームの話ができるので、ネットワークが広がっていく。他にもミュージシャンや劇団員、雀士といった多様な人たちがいる。様々な背景の人たちが分け隔てなく、コミュニティをつくっている会社というところも興味深い。

 ラボを視察した人たちからは、皆がしっかり挨拶し、仕事を黙々とこなしているのを見て、「皆さん、真面目ですね」という声が多いという。挨拶は、「ゲームのスタートボタンを押すものだと思ってやりなさい」と徹底させている。

 家族からも、「働いていけるかわからなかったような子が、上場会社の管理職を務めているなんて」などと感謝の手紙や電話が寄せられたり、子どもの社会保険加入の通知を見た親が喜んで菓子折りを送ってきたりすることもあった。

「17年、情報漏えい事件も一度も起きていない。それだけ真面目な人が多い。責任感が強くて没頭しやすいという日本人的な特性が、このビジネスにマッチしていると思います。そういう点が、海外からも評価されているのです」(山岸室長)

 求人は、ウェブで「デジタルハーツ」と「アルバイト」と検索すると、随時行われている。

(ジャーナリスト 池上正樹)

 今年3月に亡くなった弟が、数年前に10年ぶりぐらいにアルバイトとして働いた会社ではないか。たまにしか声がかからなかったことに加えて、持病の腰痛が酷くなって、就業できなくなったのだが。。

 弟は自分なりに社会復帰を図ろうとしていたんだな、と、ほろり。

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まりあっち
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タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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