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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
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 私の仕事は、人材開発と自分では呼んでいる領域にある。もう少し言葉を足すと、専門用語としては、人材開発とか組織開発という分野にある。人事部の中にあって、他部門や他部署のビジネスパートナーという位置づけで人や組織の成長に貢献するのが仕事だ。

 私の部署は、他の会社や業界では教育課とか研修課とか呼ばれることが多い。私の勤める会社でも、15年ほど前には教育訓練課という名称だった(汗)。まぁ、組織の中の人をどう見ているか、自分たちの仕事をどう定義づけるか、ということが名称に現れていると思う。同業他社の中には「人は財産だから」と「人財開発」という部署名を持っているところもあるのだが、それはちょっと美名過ぎないか、造語で飾り過ぎるのはあざとくないか、と思うのは私がちょっと屈折しているからかも知れない。

 たとえば、仕事のある側面ではとても有能で切れるマネジャーがいるとする。一方で、部下への仕事の任せ方や進捗状況の管理はなってなくて、任された仕事を部下ができていないと自分の責任ではなくて部下の責任だと責め立てる側面があったとする。そういう人をどう能力評価するか、人事としてその人が変わるためにどう支援すべきか、しかし最終的に変われなかった場合にはどの時点でどの人にどう決断してもらうか、という一連のプロセスを引き受ける。そういう時には、最終的にその人をマネジャーとして置き続けるのかという判断をしかるべき人にしてもらうために、自分としての意見も言わねばならない。そういう立場にいると、「人財開発」なんて美名は自分に付けられないと思う。資質、素材としての人を評価しているという意味では「人材開発」なんだよなーと現実に引き戻される。

 こういう仕事をしていると、その人がどうしてそういう言動をするのか、なぜそういう価値観や感情を抱くに至ったのかという過程にも目を向けざるを得ない。違うケースについてだが、今日上司が「あいつは、子供の頃に親に十分に愛されてなかったんじゃないか」とぽろりと漏らした。実は私もそう思っていた。そして「自分が十分に満たされていないと、他人を満たす仕事は難しいかも知れない」という結論にもまったく同意だった。

 幼児~青年期の生育環境で人間が決まってしまうとは思っていない。私自身も、生育環境はパーフェクトではなかったし、いまだに生育環境から受けた傷をいくつか引きずっている。自分の傷やダメ駄目さ加減や弱みを今の仕事に活かせていられるのは、成人期に出会った人々のおかげだと思うし、パーフェクトな生育環境ではなかったかも知れないけど今振り返ってみると「少なくとも、ひとりには愛して慈しんでもらえた」という幼児~青年期があってのことだと思う。

 仕事の場で、その人が幼児期~青年期にどういう生育環境にあったかを推測せずにいられない場面がある。本人が意識しているかどうかは別にして、やはり、それは人格の一部として出てしまうものなのだ。それを自覚的に振り返ることができるかどうか、そして意識的に問題となる行動を変えられるかどうかは、その傷の深さにもよるし、その本人の「変わる必要がある」と思うかどうかにもかかっている。そういう時には、その人の成長に関わる自分も「パーフェクトではない」という自覚を持ちながら、その人の心に触れる働きかけを考えたいと思う。
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タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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