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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
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 「制度屋人事」からビジネスパートナーとしての人事への転換を、架空の会社を舞台にした小説仕立てで解説している。

 従来は人事評価制度の下請けであった教育研修の機能が、戦略的な意味づけをもって人事部門の機能を変えるという、人材開発の職にある自分にとっては気持ちよく読めた(笑)ストーリー。

 会社の風土変革を一般社員のキャリア研修から始めるというところは「???」と思ってしまうのは、自分が外資系に勤めて長くなっているからだろう。日本の会社に勤めると自分のキャリア設計を会社にゆだねて「会社はこれから自分をどうしてくれるのか」という意識を持ってしまうものらしいが、自分は最初に勤めた会社が日本企業でも小さかったこともあって、定年まで勤めるだろうという展望を最初から持たなかった(そして、自分が海外に留学して転職して何年かたったところで、同業他社に吸収合併されて社名がなくなってしまった……)。会社がキャリアについての考え方を教えてくれるというのは、きわめて日本的な感覚だなぁ(もちろん、再就職支援といった局面では、外資系もサポートはしてくれるのだが)。

 外資系というかグローバル企業だったら、若手一般職社員全員という広い層にターゲットは置かないだろうと感じた。実際、この5年間、人材開発機能を再構築した時にまず手がけたのは会社の屋台骨を背負って立っている、そしてさらに成長することが期待される、幹部人材の選別と選抜的な教育育成だったからだ。そして、それは、戦略的な投資という意味での優先順位は、今でも変わらない。

 もちろん、たとえば現場のニーズを聞きに行くとか、管理職の部下育成能力を改善することによって全社的に人を育てる風土をつくるとか、方法論として同じものは見られた。

 現場のビジネス課題を研修やワークショップという方法論をはさんで問題解決につなげる組織開発(英語ではかつてOrganization Developmentと言っていたが、最近はPerformance ImrprovementとかPerformance Consultingと言っている)をかじっていると、その分野での方法論が出てこない分、人材開発の専門家として出てくる女性主人公にはまだまだ修行を積んで欲しいと思ってしまうのは……ちょっと採点が辛いかな?
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 なかなか興味深い記事だ。

富士通経営執行役の相次ぐ退社の波紋 落ち目のIBMに代わり流出の宝庫に?
 富士通でこの夏、相次いで現役の経営執行役が、しかもグローバルビジネスができる人材が2人退社した。一人は米EMCの副社長兼EMCジャパン社長に転じた諸星俊男氏。もう一人は韓国サムソンの経営企画室から富士通コリアに入り、4年前に富士通初の外国籍を持つ経営執行役に就いた安京洙氏だ。諸星氏は 10年ぶりに米国から帰国してグローバル戦略本部担当、安氏は経営執行役常務としてAPAC総代表を務めた。

 2人の退社から、「富士通で出世するのは、やはりドメスティックで泥臭く仕事をこなすSEやサポート経験者か」とか、「グローバル展開が課題である秋草(直之会長)・黒川(博昭社長)体制の求心力に陰りが出始めた」と取りざたする向きも出た。ある富士通OBは、「秋草・黒川氏の2代にわたる、安部政権にも似た“お友達登用”に、実力派の幹部社員らに内在していた不満が顕在化した証かもしれない。“見限り”は今後も続く」と見る。しかし秋草会長は人事に関してあくまでも強気の姿勢を崩さない。「長い目で見たら富士通にプラス。日本IBMに代わって今度は、富士通が人材を世に送りネットワークを築く」と、幹部の退社を少なくとも表向きは歓迎しているようなのだ。

 確かにこれまで、IT業界における人材拠出の宝庫は日本IBMであった。しかし日本IBMの優秀な人材が、米IBMのGIE(グローバルに統合された企業)戦略の中に埋没し始めたと言われる中で、富士通がそれに取って代わることができるなら、秋草会長が指摘する通り富士通のパートナー戦略上プラスだ。米 IBMで10年の経験を持つ日本IBMの技術OBは、「富士通にグローバル感覚を持つ人材が育っているかもしれない。日本に進出したIT外資系には、あくまでも一部だが、グローバル感のある富士通幹部はターゲットになる」と、秋草会長の期待を肯定する。

 さらに同技術OBは、日本IBMの今の環境を次のように話す。「日本IBM社員の不幸は、現実の仕事で欧米のIBMと丁々発止のやり合いを通じながら仕事をする機会がほとんどなかったことだ。そのため欧米流の仕事の仕方が身に付かず、ますます英語圏の人たちの後塵を拝することになっている」。だから米 IBMは日本IBMを早急にグローバル企業に変えるため同社を直轄統治することとし、幹部を大量に送り込み始めたのだ。椎名武雄氏(3代前の日本IBM社長)の強い意志による“日本化”を見直す嵐は吹き止まない。

 ある日本IBMの営業OBはこうかみ砕く。「日本IBMはローカルで人を育ててきた。日本の顧客を第一に考えてきたからだ。逆にグローバルな人材は育ちにくかった。それでもモノ作りのベースで重要な役割を担っていたから、日本IBMの“日本化”は許されてきた。だがガースナー氏が日本IBMからモノ作りを奪った時点で、日本IBMの社長はグローバル人材の育成に政策を転換すべきだった」。椎名氏の後継者2人がそれをしなかったため、日本IBMのグローバル化を米IBMの手に委ねざるを得なかったのだ。


 外資系の日本法人だからといって自動的にグローバル人材を輩出できるわけではない。むしろ外資系の日本法人は世界第2位の市場で売上を確保するための販売会社という位置づけになることが多いのだ。だからこそ、意識的に欧米との人材交流を推進していかないと、グローバル人材は育ちにくい。そう読み取った。

 自分が置かれた環境を見ると、まさしく、ローカル人材だけでなくグローバル人材も積極的に育成しろというプレッシャーがかかってきている。
NHKスペシャル「人事も総務も中国へ」
 製造業の分野では続々と生産拠点を中国へ移し、コストダウンを図ってきた日本企業。そして今、人事や経理などホワイトカラーの仕事までもが次々に中国へ移っている。大連や上海などの都市では、日本語を話せる人材の育成を強化し、日本のサラリーマンの5分の1以下という人件費を武器に、日本企業の仕事を大量に請け負っているのだ。中国にホワイトカラー業務を移した日本企業は2500社に上る。


 これ、自分にとってはタイムリーな話題。去年辺りからグローバル規模で人事部門の業務の再編が始まっていて、グループ会社間での人事機能の統合再編、人件費の安い国への人事業務のアウトソーシングなどが始まっている。ヨーロッパとアメリカに比べるとアジア太平洋地域は後回しになっているが、アジアの現地法人でも一番英語が通じない日本は、ある意味、言語がアウトソーシングの参入障壁になっている。ただ、中国で人件費が5分の1であれば、アウトソーシングする業務を増やしていくのは時代の流れだろう。

 人事総務の業務の中でも、アウトソーシングされる業務と、本社機能として残される業務に分かれる。アウトソーシングそのものはすでに行われているが、ダイナミックに中国に移管するという話はまだ出ていない。でも、いずれ、そのような流れになってくるだろう。その時に、付加価値がある仕事として日本に残る業務は何か、ということが重要だ。
 先日の英語でのレクチャーで、「日本人にとって雇用は単なる契約ではなく長期のエンゲージメントだ」と説明した。

 改めて、エンゲージメントとは。

Human Valueのサイト:エンゲージメント
 エンゲージメントという言葉は、辞書では「engagement . 約束、約定、婚約、用務、交戦、かみ合い、債務」(「新編英和活用大辞典」研究社)と記されています。これは「強い結びつきや絆」を表す言葉です。
 個人と組織の『エンゲージメント』とは、「組織(会社)」と「個人(社員・構成員)」が一体となって、双方の成長に貢献しあう関係のことをいいます。
具体的に、組織と個人がエンゲージメントしている状態は以下のような姿ではないでしょうか。

・「個人の成長や働きがいを高めることは、組織の価値を高める」という捉え方に基づいて仕事を行い、それを実感している
・「組織が成長することが、個人の成長や働きがいを高める」という捉え方に基づいて仕事を行い、それを実感している


 今や日本の雇用慣行が変わってしまったので現状では当てはまらないが、日本の戦後の長期雇用の慣行はまさしくこの「エンゲージメント」を前提とした仕組みであったのだと思う。そして、江戸時代に大店《おおだな》で用いられた雇用の仕組みも、エンゲージメントを利用しつつも、10年単位で人を篩にかける仕組みを組み合わせており、雇う側にとっては実に有利なエンゲージメントの仕組みだったんだなぁと思う。

 雇用について様々な形態が出てきた今は、雇用形態が違うワークフォースに対して、異なる形のエンゲージメントが必要なのかな……まだ、具体的な形は見えないが。
 やっと自分の仕事の実態に近い話題になってきた……。

野々村人事部長の歳時記
 日本企業のリーダーは自信と信頼を取り戻せるのか?
 野々村さんたち、管理職にとっては驚きのデータがある。
マルコーだけでなく、日本企業の多くのリーダーが自信を失っているのだ。世界各国でリーダーシップ研修を提供しているDDI社の調査によると、日本企業のリーダー(現場リーダー、ミドル、経営層のすべてを指す)の6%しか、リーダーとしての自分に高い自信をもっていないという。日本人は謙遜する傾向があることを勘案しても、調査対象国42カ国の平均の54%と比べると、日本企業リーダーの精彩のなさが際立っている。

 そんな日本企業のリーダーたちを、部下たちはどう思っているのか?人事・組織コンサルティングを世界各国で行っているタワーズペリン社の調査によると、上司である管理職や経営者のマネジメントの質が低いと答えた割合は、日本では回答者全体の40%に達する。これは、調査対象16カ国中、最も高い値。つまり、日本企業の上司は、部下から管理職として世界でもっとも信頼されていないのだ。

●リーダーの経験をする機会が減ったことが原因
 どうして日本のリーダーは“自信”も“信頼”も失ってしまったのか?野々村さんの疑問に答えるべく、現場の声を総合すると次のようなことが言えそうだ。

 まず、成果主義の浸透で、プレーヤーも兼ねるプレイング・マネジャーが増えている。そのため、リーダーとしての意識を高めることができない。リーダーとして組織を束ねたり、部下を育てたりすることより、自分自身や自部門の業績を強く問われるため、どうしても目先の成績に目がいってしまう。結果として、いつまでも“優秀なプレーヤー”の域を出ることができない。

 事業の縮小や組織のフラット化で、リーダーの経験を積めるポジションが減ってしまったことも痛い。最近、部長代理、担当課長、グループーリーダーといった、どんな権限と責任があるのか、名刺を見ても分からない人が増えている。予算と人事を決める立場にならないと、真の組織リーダーとして意思決定、行動する経験はできないものだ。

 また、日本企業のリーダーシップ教育は、実践の場を盛り込んだものが少ない。先程引用したDDI社の調査では、会社が提供するプログラムの中で、リーダーシップを磨くのに「とても役立った」と答えた人の割合が一番高いのは、「プロジェクト活動」で、全体の半数以上に達する。ただ、実際にプロジェクト活動の場を設けている企業は、日本では10%と調査対象国平均の26%に対し半分以下。

 実際の仕事でも、教育プログラムでも、日本企業のリーダーたちは、リーダーとして実践の経験を積む機会に恵まれていない。DDI社の調査では、日本企業の回答者全体の7割は、リーダーの役割を経験する機会に満足していない。

●リーダーは自然に任せても育たない

(中略)
 内外の著名な経営者は、「人は経験を通じてリーダーとして育っていく」と、指摘している。ゼネラル・エレクトリック(GE)の前会長兼CEOのジャック・ウェルチ氏は、「われわれが経営しているのは、優秀なリーダーを育て上げるための人材工場なのだ」と、経営者の第一の役割は次のリーダーを育てることだと言い切っている。実際、ウェルチ氏は、現役時代には毎年クロトンビル研修所(GEの企業内大学)で自ら教壇に立ち、そこで直接参加者たちを指導することに心血を注いでいた(出所:『ジャック・ウェルチわが経営』ジャック・ウェルチ、ジョン・A・バーン著 日本経済新聞社)。

 また、経営の神様、松下幸之助翁も、「人は鍛えられることによっていくらでも成長する。だから指導者は、人を鍛えることに大いに意を注がなくてはならない」と、指導者が自分の後進を育てることの大切さを説いている(出所:『指導者の条件』松下幸之助著 PHP文庫)。


 その通り。研修部門がどんなに頑張っても、その前後に仕事でリーダー経験を積まなければ、リーダーとして自分が適切な行動を取っているかを顧みる意識も持てないし、研修で学んだこと(習ったこととは限らない……リーダー教育は、職階が上になればなるほど、実地で得た体験を振り返って自分に問い直すという「学び」の行動が必要だ)を現場で発揮する機会も得られない。逆に、研修などの場で理論を学んだり自分の体験を振り返る機会を持たなければ、リーダーとしては経験からの蓄積から来る体験論だけで終わってしまう。

 だから、このコラムでも言われている「リーダーシップ・パイプライン」を、現場と研修・人材開発部門とのパートナーシップの下に、現場の仕事と学びの場を組み合わせてデザインして提供することが、重要だ。

 自社のことを考えると、先日、ある事業部のアジア太平洋地域の事業部長の会合に出た時に、各国・各地域の事業部長が主に現地出身の30代後半の若い人たちに世代交替していることに愕然とした。日本の事業部にいると、事業部長は50代になって「上がり」のポジションになってしまうのだ……もっと、若いリーダー候補を積極的に育てなければ。
野々村人事部長の歳時記
スキルだけではリーダーにはなれません~「HOW」よりも「WHAT」をつくる3つの視点
野々村さん、自動車メーカーの人材開発センター長を訪ねる

上田人材開発センター長: 「そう、自主や自立は大切です。ただ、本当の意味での自主・自立というのは専門知識やスキル、つまり『HOW』を身につけるだけではムリなんです。やはり『WHAT』を明確にできるようになること。リーダーシップの出発点は、何をしたらいいかを明確にする力です。自分たちはどうありたいのか、その達成のために何をするべきか、を自分で考えて部下にきちんと伝えていくことが、リーダーの一番大切な役割です。人や組織が動く方向や動機を与えるものです。WHATは経営者だけがつくるもの、現場の自分たちは運営のスキル、HOWを身につけていればいいという意識では、管理職は務まらないですね」

野々村部長: 「うーん。つまり、社員にスキル習得ではなく、厳しい変化を勝ち抜くための考え方や行動のクセをつけてもらうことね・・・。なるほど。ところで、どのようにWHATをつくる力を身につけさせているのですか?あ、やり方を聞いてしまいました。HOW病かなあ」

 と苦笑した。
 上田さんは笑いながら続けた。

上田・人材開発センター長: 「WHATをつくる力を身につけてもらうのに、以下の3つの観点から常に考えてもらうようにしています。

経営理念の実現のために、自分たちはどうあるべきか?
顧客や社会の要望や期待を満たすために、自分たちはどうあるべきか?
自分自身のありたい姿は何か?


 組織や自分のありたい姿をまず明確にすることから出発します。そして、それを実現するために何をするのかという具体的な課題にまで落とし込むようにしています。こうして考えるクセをつけるのです。スキルを磨くというより、変化に合わせて自主的に課題を発見し解決し続ける思考や行動を身につけるわけです。ありたい姿がはっきりすれば、社員は常にそれと現状のズレを探すようになります」


 ただ、この思考法を身につけるには、ある程度年齢というか脳の学習能力のキャパも考慮しなければならないと思う。個人差はあるが、30代半ばがひとつの区切りだと自分は思っている。特に営業系の経験から学ぶ思考力が固まってしまうと、"HOW"から"WHAT"を考える思考パターンは身に付きにくい。

 だから、自分の会社では、営業系の若手ポテンシャルに「何を考えるか」を考えさせる研修をその年齢層を対象に実施している。現実的には40才ぐらいでも受け入れているが、30才前後から35才前後がねらい目。

 それで売上が上がるというわけではないが、一年後に本社のマーケティング部門に異動した元受講生が「あの研修を受けて、自分の仕事の仕方が変わりました」と言ってくれるぐらいの影響力はあるようだ。
 興味があって読んではいるが、自分の展開する研修プログラムと例に挙げられる研修プログラムの間に乖離があって、どうも首をひねってきた連載記事。

自己啓発の謎 使い道のない「スキル研修」に何故みんな集まるのか
 スキル教育を実りあるものにするには、研修を行う前に、スキル習得の「目的・使い道」を明らかにしなくてはならない。「やることが目的」から脱却して、スキル習得の目的を経営課題の実現におくのだ。これは簡単なことではない。なぜならば、経営的視点が求められ、社員本人や人事担当者だけでは完結しないからだ。経営者、現場の上司との連携が不可欠になる。

 「スキル習得は自主・自立の精神に基づき社員本人が考えること」ではなく、人事・研修担当者が組織や権限の壁を越えて現場の上司と協力して、課題達成を念頭に置いた明確な目的と役割を示すことが大事だ。例えば、部品メーカーの開発部主任のBさんに対して、「A製品群の開発納期を20%短縮するために」、「プロジェクトマネジャーをやってもらうので」、「プロジェクトマネジメントスキルを習得してもらう」といった具合だ。

 さらに、スキル研修後には、課題達成に向け、スキルが定着化しているかフォローすることも必要。この責任は現場の上司にある。部門目標達成の責任者としてスキル定着化はひとごとではない。研修後のアンケートの良し悪しは受講者の反応を知る上で大事だが、もっと大切なのはいかに目標達成に向け実務に活用しているかだ。


 今回の記事の主張には同感。基本的に、自分は幹部育成目的のリーダーシップ・マネジメント研修以外は、事業部・部門とのパートナーシップの下に、業務におけるスキルを向上する具体的な目標をもって研修を設計し、提供している。

 全社員に対して公募型の研修は、今のところ、通信教育と、外部の英語学校に通学する費用の補助だけ。外部のビジネススクールなどの講座にも自己啓発目的の受講を補助してあげたいところだが、全社員に費用を補助するほどの予算もないし、効果のほどが見られないので、対象を限定して会社費用を提供することにとどめている。

【研修前の問題】

研修担当部門は、「従業員の自主・自立」という観点のみからメニューを揃えるだけで、選択は個人任せになっている。業務目標の達成とスキルの習得が連動していない。
社員は、具体的な目的や使い道がないままに、自分の興味や、将来何かの役に立つだろう、という漫然とした期待でスキル研修に参加し、スキルを得られただけで満足してしまう。
現場の上司は、しっかりとした動機づけや意味づけもないまま、部下を研修に送り出している。


【研修後の問題】

研修担当者は、研修直後のアンケートの良し悪しだけを評価の判断材料とし、研修後にスキル定着化に向けた支援にまで手が回っていない。
現場の上司が、研修は研修、実務は実務と、割り切ってしまって、積極的に仕事に活かすフォローをせず、活かすも殺すも参加者任せにする


 7~8年前にイギリスから人材育成担当者向けの研修を受けた時、Pre-Event、Event、Post-Eventという考え方を教えてもらった。研修はただ提供するのではなく、Pre-EventとPost-Eventを事前に設計して初めて効果が出るということを実感している。

 欧米では研修効果をROIで測定するやり方もあるそうだが、個人的にはROIを測定する意味のある研修はまだまだ多くないと思う。ただ、研修前に目的を特定し、研修後に研修で学んだ内容を発揮できる環境を用意し、受講者の行動変容を測定するプロセスは意識している。

 今回の連載記事は、挙げられた例はともかく、賛同できたかな。

 「野々村人事部長の歳時記」第2回、ふたたび研修を取り上げてくれたので読んだが、何だか自分の仕事と違うなぁ……。

野々村人事部長の歳時記
やる気が空回り?研修担当者のジレンマ

 研修内容を決めるには時間がかかる。社内で新しい研修を始めようとすれば、現場へのヒヤリングから始まり、企画・開発を続け、納得できるだけの内容が決まるまでには半年から1年ぐらいはかかる。つまり、次の年の会社の経営方針が決まる前から、研修の計画づくりに着手しなければ、うまいタイミングで研修は実施できない。



 確かに全社的なプログラムの準備には半年程度時間をかけたが、1年はかかりすぎという印象。もっとも、典型的な日本の会社だと、口を挟む役員・重役の数が多いのだろう。研修や教育は誰でも一家言あるというか誰でも何か言える分野だから、あれこれ言われて調整に時間がかかるのかな……。

 正直、自分たちでできることには限界がある。ほとんどの研修を外部の研修会社やコンサルタントにお願いしているのだ。それでも、どんな研修をするか、そのラインナップづくりには工夫をし、結構充実させてきている。それはここにいるメンバーたちの地道な調査のお陰だ。それなのにそれが現場にはうまく伝わっていない。告知方法の問題なのか、それとも現場の意識が低いせいなのか。

 会社の方針、経営陣とは足並みが揃わず、現場の上司からは嫌がられるのが研修と言える。その状況をなんとか抜け出すにはどうすればいいのか。



 「研修」という枠の範囲で考えているからじゃないのかな。事業部なり部門のビジネスに直結する能力を上げるという手段のひとつとして研修があるのであって、まず研修ありきじゃない。

 現場の問題解決を支援する方法として手段を提供する。その立ち位置に立ったら、準備に半年も一年もかけてられない。事業部や部門からオーダーをもらう研修は、依頼から提供まで長くて3ヶ月。

 問題解決のための手段としての研修だから、参加者もおのずと決まってくる。出張が入ったりして欠席されることもないではないが、なぜこの研修が必要か、誰が参加する必要があるかをオーダーしてくれた事業部・部門と事前に合意しているから出席率が低くて悩むこともない。

【1】 野々村部長は武田顧問と一緒に経営陣に対し、現状の課題を率直に議論できる「場」を設け、理解・協力をあおぐこと。

【2】 課長は社内の知り合いを集めて、現場のヒヤリングをすぐに実施。

【3】 他の人事部スタッフたちは現在実施している研修の見直しをするポイントを整理する。また研修の日程決めも含めた今後の2カ月の全体のスケジュール、および、次回のミーティングまでの直近の宿題を整理して、ミーティングを終えた。



 ここまで読んで、気が抜けた。経営陣と人材育成について意見を交わす・理解や協力を得るということは大事だが、ビジネスとのつながりが見出せない。

 今後どういうビジネスを強化していくのか、そのビジネス戦略のためにどういう層でどういう人材が必要なのか、現有の人材と今後必要な人材との間にどれだけのギャップがあるのか、そのギャップをどう埋めていくのか(外からの採用・他部門からの異動・内部からの育成・など)、その手段のひとつとして内部人材にどういう職務経験をさせるか・教育を受けさせるか、というストーリーが見えないんだなぁ。

 これだけのかちっとしたプロセスを自分もすべての事業部・部門と展開しているわけではないけれど、何のためにどうやって人材育成をしているのかという意識が、この2回の連載記事からは感じられない事例が続いているなぁ……外資と内資では環境が違うから人材育成の役割も違ってくるんだろうけど、読んでいて参考になるほどの記事なのかと首を傾げてしまった。

 カフェテリアプラン型研修を導入できるほど潤沢な予算を持っていない会社にいるゆえの僻みが、タイトルに出てしまった^^;。

「自助努力をする社員だけを評価する」でいいのか
2月は研修を決める時期 便利な「カフェテリアプラン」にご注意を

 カフェテリアプランが注目され始めたのは1990年代前半だ。この頃、多くの日本企業が個人の能力や成果に基づく人事評価制度、賃金制度を導入した。

 「成果主義を導入する」のは「社内にも競争を持ちこみ、その成果で社員を評価・処遇すること」という意味でもある。そのため、研修制度でも社員の能力開発も会社が丸抱えで、階層別に一律に同じ研修を受けさせるのではなく、社員の自己責任を重んじるような内容が求められ始めた。そこで、会社は仕事で必要な知識やスキルを学ぶ研修を、外部のプログラムも含め幅広くそろえ、社員が自分で判断して必要な研修を受ける方式への関心が高まってきたのだ。

 この制度は研修を受ける社員にとって、自分の今の仕事に必要な知識やスキルを手っ取り早く身につけるには便利。内容や時期が1律に決まっている階層別研修に比べ、自分の意思で、必要な研修を自由に選ぶことができる。外部のプロが行う研修であれば、仕事に役立つ知識やスキルを効果的に学ぶこともできる。

 もっとも、いいことばかりではなかった。人事の現場では、この制度の弊害も出てきた。


 うーん、カフェテリアプラン型研修って自助努力と自己研鑽を奨励する以上の投資効果はあるんだろうか。

 私の勤め先でも自己啓発に対する補助制度はあるが、通信教育と英語学校への通学への補助で、そんなに厚くない。社員全員に対して門戸が開かれているプログラムより、対象者を絞り込んで研修効果の高いプログラムを実施することの方が重要だし、投資効率もいいからだ。
プロフィール
HN:
まりあっち
性別:
非公開
自己紹介:
タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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