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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
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関口宏のもう一度!近現代史 第104回「昭和20年(1945)国際連合設立・憲法改正へ」
今回は終戦から2か月後、昭和20年10月。中国では国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東による「国共内戦」が再燃。2人は内戦回避へ動くが果たして!?一方、世界では、「国際連合」が設立される。常任理事国となった5か国の思惑とは!?そして、国内では、ついに憲法改正へと動き出す。「日本国憲法」制定の舞台裏に迫ります。
昭和20年10月の憲法改正に向けての動き。

 一方中国は8月30日にアメリカがお膳立てした重慶会談で蒋介石と毛沢東が会い、10月10日に双十(そうじゅう)協定を結んで蒋介石がトップとなる体制を組もうとしたが、もともと孫文の三権主義と共産主義で主義主張が違い、双方の軍が譲らず、内戦が再燃する。

 また朝鮮半島は、日本兵の武装解除を目的とする建前で、38度線で米ソが分割統治する。
北: ソビエト民生庁が統治。抗日パルチザンだった金日成《キムイルソン》が統治。
南: 朝鮮最後の統一王朝の閣僚出身でハワイを拠点に抗日運動をしていた李承晩《イスンマン》が首班に。
 単一国家を発足させるはずが、米ソの思惑で分断国家に。5年後の朝鮮戦争に発展してしまう。


 アメリカの直接支配下にあった沖縄では在日米軍が沖縄の基地化を進める。島民の9割が収容所に強制隔離され、その間に軍事基地が建設された。在日米軍基地の70%が沖縄に存在することに。

 学童疎開の子供たちが帰郷するが、12万人が戦災孤児に。家が空襲で焼失したり、両親が空襲などで死亡していたり。
 何のセーフティネットもなく路上に放り出された戦災孤児たちは、上野や渋谷などの繁華街・駅ターミナル周辺で新聞売り・靴磨きなどする子供もいたが、物乞いや煙草《もく》拾いなど収入のない生活をしている子が多かった。

 戦災による住宅の焼失。仮小屋やバラックに9万3000世帯31万人が住み、冬を越せるのは3分の1と言われた。バラックを建てたり、防空壕にトタン屋根を敷き詰めた壕舎に住んだり。バラックや焼けビルの空き屋を利用した住宅など都が供給できたのはわずかに1,000戸分。
 この頃、母は祖母・次姉・長兄と親戚筋の柏での疎開から引き揚げ、亡き祖父(陸軍工兵、日中戦争が起こる前に中国大陸で病死)のつてで赤羽の陸軍基地のバラックに。シラミが湧いてすごかったとか、米軍の空襲を受けて滑走路がボコボコになっていたとか、空いた土地に野菜を植えたとか、聴いたことがある。

 国際連合、戦勝国51ヵ国が加盟して成立。加盟した国が侵略したら連合軍が反撃するというシステム。拒否権を持つ常任理事国はアメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス。フランスは侵略された国家で戦勝国とはいいがたかったが、イギリスが推薦して常任理事国となった。アメリカはブラジルを常任理事国に加えようとしたが英ソが拒否して果たせなかった。
 連合国を敵に回した日本は昭和31年まで加盟できず、80ヵ国めの加盟。
 しかし国連憲章の「敵国条項」は今でも残っている。

憲法改正の動き
 GHQは戦犯容疑の濃かった近衛文麿のはしごを外した。
 国務大臣松本烝治や憲法学者の美濃部達吉らを憲法調査会として準備させたが、帝国議会のメンバーは国体の維持を望み、憲法改正は不要と考えていた。
 一方、民間の「憲法研究会」なども草案をつくっていた。主権在民、天皇は儀礼中心、人権、男女平等、生存権など先進的な考えが見られた。GHQが参考にしたかどうかは定かではない。
 国外ではソ連・オーストラリア・ニュージーランドが天皇の戦争責任を追及する動きがあった。



 
 

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