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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
 今日付で14年半勤めた某社を退職する。12月は2日間出張ベースで仕事をしただけで、ずっと有休消化していたので気分的にはもう退職しているのだが……年末に会長・社長から例年の通りに祝い箸が贈られ、来年以降の明るい見通しが記された手紙を読むと、切なくなった。

 来年以降は明るい話題が続く、これから業績が伸びる予定の会社を辞めてしまうのはもったいないことだなぁと思う。でも、人材開発・組織開発の仕事を続けていくに当たって、新しい環境を経験する必要があった。

 9月から始めていた転職活動は、関西から東京に職探しに行く地理的な制約もあって面接の設定に苦慮したり、内々定が出る見込みの会社が内部事情で採用を凍結する決定をしたケースが2回もあったり(汗)、なかなか思うように進んでいない。それでもいくつか芽の出そうな案件を抱えて年明けを迎えることとなり、ちょっとは明るい新年となる(苦笑)。

 明日からは暫く無職になるわけで(汗)、寄る辺のない身分にちょっぴり不安感がある。身分証明にパスポートが必要になるのね(汗)。

 元日、地元の八幡神社への願い事の第一は、いい仕事と職場環境に恵まれますように……となるのは確実だ。

 この記事を読んで下さる数少ない読者の方も、よい新年を迎えられますよう。
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 5年前に3つの幹部育成プログラムを異なる幹部候補の層に始めた時には、プログラムが成功する保証は何もなかった。けど、5年も続けると、社長が交替しても、他社と統合して組織が多少変わっても、協力者が増えてくる。

 5年前に3つの幹部育成プログラムを始められたのは、当時、日本人初の社長として就任した今の会長が、社長就任翌日に私のデスクに来て「まりあっち(仮名)さん、若手幹部育成をやりたいんだけど」と言ってくれたことがきっかけ。この機会を逃すまいと、半年後に社長と自分の上司である人事本部長と私の3人で打ち合わせをした時には、ふたつの研修プログラムのコンセプトができていた(上司とは打ち合わせなしだったんだけど、幸いなことに、イメージぴったりだったなぁ……今だったら、事前にもっと意見交換して、企画書までつくっていたと思うが^_^;)。3つめのプログラムは、ちょっと遅れてコンセプトを産んだ。

 会社としては前例のない長期のプログラムを3本も、リストラの翌年に立ち上げた。上司や社長のバックアップもあったし、関係者の中で特に抵抗するシニアマネジャーもなく、実現にこぎつけたのはラッキー。そして、各プログラムには、社長をはじめ、できるだけ経営幹部が参加できるようにした。レクチャーする役だったり、プログラムの参加者からの提案を聞いて評価したりコメントする役だったり、懇親会に同席してもらう役だったり、いろいろ。

 昨日始まった、3泊3日(前泊が前提)が3回の某事業部の若手リーダー候補向け研修などは、昨日だけで、事業本部長が挨拶し、事業部のマーケティング部長がマーケティング的な考え方についてレクチャーし、懇親会には去年の参加者が体験談を語り、さらに社長が交流のために参加した。次回以降にも、事業部の営業統括部長、会長がどこかで登壇することになっている。このプログラムをパートナーシップを組んで提供してもらっているコンサルタントからは、これほど幹部が研修に強力する企業は滅多にないと言ってくれる(しかも、それぞれが的確なメッセージを参加者に伝えてくれるのが、また嬉しい)。

 参加者は毎年違うけど、毎年毎年、ますます参加者の心をつかむ研修になってきているのは、企画運営する私たちの熱意以上に、こうして協力してくれる関係者の熱意が伝わるからだろうと思う。
 やっと、待ちに待っていた、新しいスタッフの着任。7月1日付けで異動してくる予定が、前職の引き継ぎを延ばす必要があって、着任も延ばして待った次第。

 今年1月付けでひとりを人事部内の別の仕事に出して以来、正社員の部下ひとりと派遣社員の部下ひとりと自分の3人で回していたが、今月から研修の本格シーズンなので、本当にぎりぎりでの着任。早速、明日から研修のアテンドをお願いしたりする^_^;。

 もっと人に関わる仕事がしたいと望んで人材開発の部署を希望してくれた。そういう志はとても大切だ。単にトレーニングプログラムを提供するだけの仕事ではないから。時には人生や仕事との関わり方が変わるぐらいの時間を提供することもあるのだ。そのためには、マニュアル通りの仕事だけしていれば済むというものではない。

 新しい人が来ると、今までやってきたスタッフにも刺激が生まれる。もともと相当に能力の高いメンバーだからこそ少数精鋭で仕事を回してこられたのだけど、待望の新メンバーが加わることで、社内の顧客にとって新たな価値が加わったらいいなぁ。
 火曜日から開始した4日間の研修が無事に終了。

 もとは英語版のプログラムだったのを、1年以上かけて、英語版のマニュアル化(ドイツ人講師の経験にもとづくプログラムなのでマニュアルが存在しなかった)、日本語版のマニュアル作成、日本語版講師の選定、英語版でのプログラム一部実施によるドイツ人講師からのお墨付き取得、日本語版講師のトレーニング(途中交代あり^_^;)、と長い手間をかけてのお披露目。

 そして、並大抵の講師には務まらないプログラムなのだが、今回デリバリーを委嘱した講師は素晴らしいデリバリーを提供した。受講した参加者が感動して帰っていくような、心に響くセッションになった。

 部下への接し方や指導の仕方をスキルとして教える研修プログラムを社内に持っている会社はいくらでもあるだろう。でも、小手先のスキルを教えるのではなくて、人との接し方やコミュニケーションのあり方を基本的な姿勢や態度から説き起こし、かつ、説教に終わるのではなく具体論としてヒントを与えてくれるという研修を持つ会社は、そうはないだろう。このプログラムを日本語版で社内に自信をもって提供できるのは、とても嬉しい。
 この4年間余りは、グローバル企業の現地法人のひとつである日本法人の経営を、日本市場のニーズがわかって顧客や従業員たちと容易に意思疎通ができる日本人を経営層に押し上げるための選抜育成が1番のプライオリティだった。実際には、若手層の発掘に始まって、いくつかの層に対して選抜と育成の基本路線を構築してはいるのだが。

 ここ1ヶ月ほど、自分たちの仕事が、日本法人の将来のマネジメントを担う人々をちゃんと育てることから拡がりそうな気配。日本人をもっとグローバルのマネジメントチームに出せという圧力が、複数のルートから(汗)かかってきている。

 日本法人の経営人材を育成することと、グローバルの経営環境でやっていける日本人を育成することとでは、タイムスパンもやり方も違う。短期ではともかく、中期では採用や人事ローテーションの方法も考えないと実現できない。

 でも、ちょっと嬉しい。この会社に入社した14年前、入社して3ヶ月で個人的な目標をつくった。当時すでに1000人以上の従業員がいる日本法人だったが、日本人の経営幹部は、正直に言って、400人ほどの従業員を抱えるローカル企業の経営幹部レベルだと思った(……いや、その規模の会社でも優良企業の経営幹部ならもっとましじゃないかと思った)。その状況で、「いずれ、日本人でアジア太平洋地域で国の事業部を担える人材を輩出するようにしたい」というのが、個人として立てた目標だった。

 その後、日本法人トップに日本人が就任したのだが、自分が育成プロセスにはほとんど関わっていなかったので、大願成就とは思っていない。

 これから、入社後3ヶ月で立てた個人の大望を実現するための方法を模索することになるんだな。
 今日は英語でコミュニケーションと協力とリーダーシップを学ぶ研修の最終日。そして、私が講師としてお墨付きをもらえるかどうかがかかっている2回目の本番。

 ……事件は起こった(汗)。25年もこの研修の講師を勤めているドイツ人講師にとっても、今までほとんど経験したことのない演習結果が、よりによって仮免手前の自分が担当している演習の中で起こった。

 前日まで緻密に練習していたシナリオが使えない状況になって、頭は真っ白。途中で降板してドイツ講師の師匠に収拾してもらわざるを得なかった。

 自分のふがいなさゆえにお墨付きがもらえないという失態をまた迎えるのかと負うと、目の前が真っ暗になった。

 去年9月にチャレンジして失敗して以来、準備に準備を重ねて、今回もお墨付きがもらえないかも知れないという事態に心の準備をしていた。何しろ、この4日間、褒めてもらえず、ひたすら具体的に改善すべきポイントを指摘され続けていたのだから。

 今回お墨付きをもらうためにつくった3人チームの残りふたりが、「彼は、本心では、日本語版をつくることに対して快く思ってなくて、自分たちを潰すつもりでネガティブなことしか言わないのではないか」と疑心暗鬼に陥った時も、自分は、自分たちをプロの講師として養成したいからこそ厳しい指摘をしてくれていたんじゃないかとバランス感覚を持っていた。

 一方で、この研修の日本語化プロジェクトの責任者として、もし今回お墨付きをもらえなかった時の対応策も考えもした。

 そして、「もう後は3人チームの皆が日本語版で経験を積むことでしか技量のレベルを上げることはできないから、どんどんやりなさい」というお墨付きが出た時、涙が出そうになった。「この4日間は今後の皆の技量を向上させるために厳しいことしか言わなかったけど、自分があなたたちにしてやれることはそれだけだから」とも。

 文化の違いを超えて、人はわかりあえる、と楽観的に言う人もいる。結局はわかりあえないのだ、と、悲観的になったり、開き直ったりする人もいる。

 現実は、そのどちらもあり得る。そして、「文化の違い」を口実に諦めたり開き直ったりせずに、その相手が個人的に信頼できるかどうか、自分が相手と個人敵信頼することにリスクを負うかどうか、という個別のケースの積み重ねだ。

 でも、最終的に、彼が自分たちを潰そうとして厳しい指摘をしたのではなく、今後のためによかれと思ってあえて厳しい指摘をしたという意図がわかって、自分の読み通りだということもあって、ほっとした。すべての他人を無限に信頼できるほど肝が据わっていない自分だが、文化の違いを超えて、自分の目で観察した相手の行動が信じられるか否かという直感は、正しかった。

 待望のお墨付きがもらえたところで、ゴールデンウィーク休暇。今週は、普段痛まない胃が痛んだり、昨夜は午前3時半に目が覚めてから十分に寝付かれなかったり、それなりにプレッシャーもあって緊張が身体に出る週だった。休暇中に、リラックスして疲労を払拭したい。
   ベストは尽くした。去年の9月のメタメタ状況に比べれば、随分とうまくできた。

 でも、具体的にできなかったことを指摘されて、それはそうだなとも思う。

 自分が日本語でできたと思う状態から比べると、せいぜい50パーセント。でも、英語だったからという言い訳は通用しない。

 今の時点で合格をもらえるかどうかは微妙。

 あともう一回、明後日の本番に備えて、今から準備するしかない。
 日曜日から東京入りし、昨日から行われている4日間の英語でのリーダーシップ研修の一部を日本人スタッフ3人で講師役を務めている。日本語版の開発にあたって、師匠であるドイツ人講師から英語版でのお墨付きをもらうことが条件になっているためだ。

 去年の9月はぼろぼろで、今回が再挑戦。昨日は仲間のふたりが一部のプログラムの進行を務め、まぁまぁの評価を得ながらも随分といろいろな修正のコメントをもらった。

 今日は私の出番。去年の9月にこのパートを務めた時にはぼろぼろだったし、月曜日のリハーサルでも一番ぼろぼろだった(汗)。月曜日の夜から立て直しに入っているが、どこまで修正できたか。 日曜日から東京入りし、昨日から行われている4日間の英語でのリーダーシップ研修の一部を日本人スタッフ3人で講師役を務めている。日本語版の開発にあたって、師匠であるドイツ人講師から英語版でのお墨付きをもらうことが条件になっているためだ。

 去年の9月はぼろぼろで、今回が再挑戦。昨日は仲間のふたりが一部のプログラムの進行を務め、まぁまぁの評価を得ながらも随分といろいろな修正のコメントをもらった。

 今日は私の出番。去年の9月にこのパートを務めた時にはぼろぼろだったし、月曜日のリハーサルでも一番ぼろぼろだった(汗)。月曜日の夜から立て直しに入っているが、どこまで修正できたか。
 「座右の銘」と聞かれると、答えに悩む。あまり意識しないで来たからなぁ……(^^ゞ。

 強いて言えば、画家フランシスコ・ゴヤの作品名『俺はまだ学ぶぞ』か。

'I am Still Learning(Aun Aprendo).' カッコ内はスペイン語で、uの上にアクセント記号がある。

 学生時代に読んで印象に残った本のひとつが『ゴヤ』堀田善衛だった。18世紀から19世紀に移行する時代、フランス革命・ナポレオンによるスペイン侵略とレジスタンスの時代に生まれた宮廷画家ゴヤは、宮廷や貴族の注文を受けて作品を描くことから自己表現のために作品を描くことにスタンスを変え、近代画家の草分けとなった。晩年のゴヤは、スペインからフランスに亡命したのだが、白髪で腰が曲がった80代の自画像に「俺はまだ学ぶぞ」と題名をつけた。

『ゴヤ(1)スペイン・光と影』
『ゴヤ(2)マドリード・砂漠と緑』
『ゴヤ(3)巨人の影に』
『ゴヤ(4)運命・黒い絵』 リンク先はいずれもamazon.co.jp

 80歳にして、学ぶことへの強烈なバイタリティ。人材育成に携わる者として、ゴヤのその姿勢にあやかろうと、座右の銘はゴヤの言葉からいただいている。

 ちなみに、堀田善衛の『ゴヤ』からは、近代国民国家の先陣を切ったフランスの国民軍が他国を解放と称して侵略したこと、王制が続き近代化が遅れた被侵略国では最初は解放軍としてフランス軍を歓迎したものの、やがてフランス軍は抵抗派の非戦闘員も殺すようになり、抵抗運動は国土全体にゲリラ活動として広がった(ちなみに「ゲリラ」という単語はスペイン語で「小戦争」という意味で、この時に生まれた)ことを学んだ……という意味で、私の近現代国家観に影響している。

 詳しくはWikipedia「半島戦争(スペイン独立戦争)」の項を参照。この項に紹介されているゴヤの『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での虐殺』は、近代国民国家の創成期にすでに包含されていたネガティブな側面を描き、ゴヤ作品の中でも一番の傑作だと思う。

 こうして書いてみると、フランスが19世紀初頭にイベリア半島でやったことは、米国がベトナムや中東でやってきたことと、何ら変わらんなぁ……(嘆息)。
 関連会社のアジア太平洋地域の事業部長の会合にて、依頼されたレクチャーを行った。日本のユニークさ、そのユニークさがビジネス文化に与えた影響、結果として日本人のキャリア観や仕事観にどういう特徴があるか、その特徴に応じた人材育成の方法とは、というのが大体のお題。

 冒頭の1枚のスライドに日本史をまとめるのが、なかなか至難の業だった。歴史好きなもんで、特に260年続いた江戸時代が近代化以前の日本の経済や社会に近代化への適応力を生み出す自力の発展があったことを強調した。世界史的に見ても、260年間、島原の乱から幕末の戊辰戦争まで、大きな内乱がなかったというのは日本の歴史のユニークな点だと思う。18世紀には世界最大の都市であった百万都市江戸が上水道を完備したこと(その頃、上水道があったのは江戸とロンドンだけだった。しかも、江戸は24時間上水を供給したのに対して、ロンドンは週3回7時間だけだった)は語り落としてしまったが、種子島にポルトガル人が漂着して何年も経たないうちに銃を内製化して戦国時代の後半に銃を主力兵器にした技術力の高さについては紹介することができた。

 黒船が来てから明治維新に至るまでの10年間、混乱の中にも欧米列強の脅威を受けて開国しながらも超スピードで欧米の科学技術を身につけたことは、十分に触れられなかったなぁ……反射炉の建設、西洋式の船舶の建築、ドック建設(完成したのは明治に入ってからだが……)、種痘の導入など、語りたいエピソードはいくらでもあった。個人的には、明治維新が近代化の幕を開けたのではなくて、維新前のこの10年間が日本の近代化の基礎になったと考えていて、だからこそ幕末の歴史は面白いと思うのだが、時間の制約もあって英語でそこまで説明しきれなかったし、本論として日本の歴史がビジネス文化に与えた影響に結びつけるにはちょいマニアックなので語れなかったのが残念……。
プロフィール
HN:
まりあっち
性別:
非公開
自己紹介:
タレントマネジメント(人材開発・組織開発・パフォーマンスマネジメント・採用など)のスペシャリスト。
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