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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
BS-TBS 関口宏のもう一度!近現代史
第97回 「昭和20年(1945)原爆投下・ソ連軍の対日参戦」
連合国から出されたポツダム宣言に対し鈴木貫太郎首相は「黙殺」を表明。日本の意図は?8月6日人類史上初の核攻撃が行われます。なぜ広島が標的にされたのでしょうか?そして、8月9日にはソ連が満州へ侵攻。さらには樺太、千島列島へと兵を進めるのですが、その裏にあった「ある国」の支援とは?今回は7月28日から8月9日まで、日本が原爆という未知の攻撃に直面する2週間を紐解きます。

 昭和20年7月28日から8月9日。

7月28日、鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を「黙殺」とコメント。
欧米メディアは"ignore it entirely"と解釈し、"reject it"と報道。日本はソ連を窓口にして和平交渉をするつもりでいたが、対ドイツ戦を終えたソ連は対日参戦する気満々で日本の本音を無視して待ちぼうけを食らわせ、満州との国境付近に戦力を終結させていた。アメリカはソ連に先を越されたくなくて早期決着をつけようと二発の原爆を用意した。

この辺りのボタンの掛け違えは日本国民として悲しいし悔しい。すでに沖縄戦でも多くの国民、特に非戦闘員が「根こそぎ動員」のためにあたら殺されてしまったが、このタイミングで受諾する意向を示していたら二発の原爆は落とされなかったかも知れないのだ。

(もちろん、ここに至るまでの戦略戦術ロジスティックスすべてにおいて間違いを続けていた大日本帝国の政府と軍部に責任があるのだが)

改めて広島に落とされたウラン型原子爆弾。高度600メートルで爆発し、直径280メートルの火球を発生させる。爆心地の温度は3000〜4000℃。3.5キロメートル離れた地点でも火傷する火力。爆風で半径2キロ以上の木造住宅はほぼ倒壊、その後発生した火災で半径2キロ以内はほぼ消失。昭和20年12月時点での推計死者14万人、今年8月時点での累計死没者32万人。広島県物産陳列館だった建物は爆心地の真下に建っていたため、爆風が真上から吹き、倒壊を免れた。「原爆ドーム」として平成8年に世界遺産に認定される。

一方、満州のソ連との国境付近では2月から兵力が終結していたことを陸軍は把握していたが、黙っていた。というのも、昭和16年には85万人の兵力があった関東軍だが、南方戦線に兵力を取られて昭和20年には10-20万人の兵力しかなかった。無理矢理「根こそぎ動員」で現地の在留邦人など40万人を集めて70万人ほどにしたが、軍服も軍備も十分にない。ソ連が攻めてきたらとても対抗できないのは明らかだった。そして「動員」された人々の中には、戦闘で殺された人々たちだけでなく、ソ連に抑留された人々もいた。

ソ連は満州以外にも南樺太、朝鮮半島、千島列島に出兵。8月28日から9月4日にかけて北方四島に上陸したが、ソ連側資料では9月2日までとなっている。というのも、9月2日に日本が戦艦ミズーリで降伏文書に署名しており、9月2日以降の戦闘を認めるわけにいかないから。北方四島の帰属問題の背景のひとつでもある。ちなみにソ連の上陸作戦にはアメリカが武器弾薬や船舶を援助している。

次回は8月9日から8月15日。ソ連参戦、長崎原爆、玉音放送。。
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