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タレントマネジメントスペシャリスト"まりあっち"のブログ。
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第98回 「昭和20年(1945)ポツダム宣言・無条件降伏決定へ」
昭和20年8月9日。広島に続き、長崎に2つ目の原爆が投下され、7万人以上の命が奪われる。その時、東京ではポツダム宣言受諾をめぐり、政府と大本営による会議が行われていた。ポツダム宣言受諾を主張する政府と、あくまで本土決戦にこだわる大本営。日本の命運を決める会議では激論が交わされ、最終的に決着をつけたのは、昭和天皇だった。8月14日、昭和天皇の聖断で、日本の無条件降伏が決定。終戦を国民に直接伝える玉音放送の準備が始まる。その一方で、陸軍内では無条件降伏に反対する一部の勢力が、クーデターを画策。徹底抗戦のために天皇と政府要人を軟禁し、玉音放送を阻止するために、8月15日の未明に行動を起こす。偽の命令を発令して宮城(皇居)を占拠するが、天皇の決断を尊重する陸軍の幹部によって、クーデターは鎮圧。陸軍の最後の抵抗は抑えられ、日本はいよいよ運命の1日を迎えることになる。

 8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下。プルトニウム爆弾で広島ウラン型の1.5倍の破壊力があったが、長崎の起伏のある地形で被害は広島ほど広範囲ではなかった。人口24万人のうち推計で死者7万人。現在の戦没者名簿では18万9千人余が亡くなっている。
 当時の第一目標は小倉だったが、前日の空襲で八幡製鉄が被災し煙で目視しにくい状況だったため、第二目標の長崎に投下された。また、アメリカは第三の原爆も用意していたが、日本がポツダム宣言を受諾したため、使用されなかった。

8月14日の御前会議にて天皇がポツダム宣言受諾を決定。8月15日にかけて、陸軍の若手将校がポツダム宣言受諾と玉音放送を阻止するために決起したが鎮圧される。また、陸相の阿南は「一死をもって大罪を謝し」と書き残して割腹自殺。

 クーデター未遂のことは不勉強で知らなかった。「日本の一番長い日」半藤利一、読むか映画を見るかしておこう。
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